「笑ってくれませんか?」
望美の言葉に泰衡は怪訝そうに箸を止めた。
「笑う?」
「そう、笑ってください」
「面白いことがあったわけでもないのに何故、笑わなければならぬのだ」
確かに泰衡の言うことはごもっともである。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
望美は、
「泰衡さんの笑った顔が見たいんです」
「見てどうするのだ」
そっけなく返され、望美は一瞬言葉に詰まった。
「や、泰衡さんの笑った顔、あんまり見たことないなあって思って。もう、一年も一緒にいるんだし、たまには笑ってくれてもいいと思うんですけど……」
だんだんと言葉尻が小さくなってゆく。泰衡の顔にくだらない、と書いてあるような気がして。
「嫌なら、いいです」
前の言葉を打ち消すように望美は叫ぶように言った。
今日は機嫌がよさそうだったから言ってみたんだけど……。失敗だったかな。
表情の乏しい恋人に、笑顔が見たいと言うのは酷なことだろうか。と、心の中で自問してみる。望美はそれなりに喜怒哀楽があるほうだ。面白いことがあったわけでもないのに笑えと言われれば驚くが、思い出し笑いでもして笑うことはできる。四六時中、渋面ばかりの泰衡は笑うことを忘れたのかもしれない。
(でも、秀衝さんは笑うよね。ま、お父さんが感情豊かだからといって、息子も同じとは限らないか)
しみじみと望美は泰衡の顔を見る。眉間に深く刻まれた皺。これは生まれつきあったものだろうか。いやいや、泰衡だって幼い頃はそれなりに笑っていたはずだ。生まれつき眉間に皺が刻まれている赤ん坊はおそらくいないだろう。笑って泣いて様々な感情を身につけてゆく、それが赤ん坊だ。
「どうした、望美」
俺の顔に何かついているか、と言われ望美ははっと、泰衡から目を逸らす。
「かっこいいから見惚れていた、って言ったらどうします?」
泰衡は数度またたきをすると、
「いくら見ても構わん、とでも言おうか」
「泰衡さん!」
紅葉のように色付いた頬の望美に、泰衡はククッ、と口の端を歪めた。
もう、見たいのはそんな笑いじゃなくて! と言おうと思ったが望美はそれを飲み込んだ。その代わり、泰衡のぎゅっと抱きつく。首に手を絡めれば、暑い、っと情緒の欠片もない返事が飛んでくる。
絶対に笑ってくれないし、鈍感な彼だけど、不思議とそれでもいいと思える。それだけ自分はそのままの泰衡が好きなんだろうか。
泰衡は、全くお前は……とぼやきながらも望美の抱き締める手を解こうとはしない。そんな彼の優しさが嬉しくて吐息が零れ落ちた。