すみれ色の恋





 

 

(や、どうしよう。泰衡さん、水筒に口つけちゃった)

 望美は泰衡の行動を見て、ひとり赤くなってしまった。

 幸い今は夜だ。

 月が明るいとはいえ、顔色まではよくわからないだろう。

 いやそうであってほしい。

(わたしがこれを飲むと……泰衡さんと関節キス。関節キスだよ?)

 望美はそっと泰衡を見た。

 泰衡は恥ずかしがる様子もなく、相変わらず眉間に皺を寄せていた。

(あんまりもたもたしてると泰衡さんに怪しまれちゃうよね)

 望美は、少しだけいただきます、と言うと泰衡から竹筒を受け取った。

(うっ、でも緊張するなあ)

 泰衡との関節キス。

 その言葉が脳裏をぐるぐる回り、なかなか竹筒を口に運べない。

「どうした、いらないのか?」

 泰衡に言われ望美ははっと我に返る。

「い、いります!」

 望美は叫ぶように言うと、えいやっと竹筒に口をつけた。

 冷たい水は枯れた大地に恵みの雨が浸透するように喉を潤してゆく。

「やはり喉が渇いていたようだな」

 泰衡の言葉に望美は手を止めた。

 竹筒は飲む前よりも軽くなっている。

 望美が飲んだのだから当たり前なのだけれど。

 振っても水の音は聞こえない。

「ごめんなさい、全部飲んでしまって」

 望美は恐る恐る泰衡を見た。

「神子殿」

 泰衡が静かに口を開く。

 怒られるのだろうか、望美はごくりと固唾を飲んだ。

 泰衡は少し口の端を上げると、ククッと喉を鳴らした。

「泰衡さん?」

 笑っているのだろうか。

 望美がぽかんとしていると、泰衡はこほんと咳払いをした。

「いや、すまない。気にしないでくれ。それより、喉は潤ったか?」

 望美は小さく頷いた。

「なら、行くぞ。馬に乗れ」

 唐突な泰衡の言葉に望美は目をしばたたかせる。

「何をぐずぐずしている。宴が終わってしまうだろう」

 この状況なら、恐らく泰衡と馬に二人乗りすることになるだろう。

 どきん。

 望美の胸が高鳴る。

「今日の神子殿は……いつもと違うな。やけに大人しいというか……。もしや、熱でもあるのか?」

 泰衡が望美に近づいてくる。

 やめて。

 今は触れないでほしい。

 あなたが触れると何かが壊れてしまいそうだから。

 望美は反射的に身を引いたが、泰衡の方が僅かに早かった。

 ぺたり、冷たい手のひらが額に当たる。

「熱いな……やはり熱があるようだ」

 呟いた泰衡の言葉に望美は自分の体温がさらに上がってゆくのを感じた。

 あなたのせい、と口に出して叫びそうになったけど必死で押しとどめた。

「寒くないか?」

 自分の衣に手をかけた泰衡に望美は掠れた声で、

「だ、大丈夫!」

「そうか? あなたが風邪を引くと八葉が煩いだろう。念のため着てるといい」

「着物なら持ってます!」

 叫ぶように言うと、望美は手に持っていた袋から着物を取り出した。

 反物屋の女性からもらったものだ。

 もう一枚着るほど望美は今宵を寒いとは思わない。

 だけど――――。

(これ以上泰衡さんに心配されたら……いけない。銀を、わたしを最愛の人と想ってくれている銀を裏切ってしまうことになるから)

 本当は銀に一番に見せたかったのだけど……現状が現状なので仕方がないと思うべきだろう。

 着物を着る間、泰衡は何も言わなかった。

 襟元を調え、顔を上げると、

「着終わったか? こんな衣装も持っていたのだな」

 少し驚いたように泰衡が訊いてきた。

 泰衡の視線に照れながら望美は、

「……反物屋のおばさんから頂いたんです」

「反物屋?」泰衡は首を傾げたがややあって合点のいったように、

「川湊の呪詛のときの者だろう?」

「はい。お世話になったからって、縫ってくれたんです」

 泰衡は近くにある桜の木を指差すと、

「そうか……闇夜に淡く浮かび上がるこの桜と同じ色をしているな。あなたに合っていると思う」

 予期しなかった泰衡の褒め言葉に望美は、かあっと再び身体が熱くなるのを感じた。

「あ、ありがとうございます」

「昼間だと、色合い、顔映りがよくわかるだろうな。あなたが帰るのが明日ではなく、もう少し後だったら……」

 泰衡は昼に見れないのが惜しい、と呟いた。

「泰衡さん?」

「気にしないでくれ。戯言だ。あなたを惑わすようなことを言ってすまなかった」

 泰衡の瞳の中に哀切の色が見えた気がした。

(そんな瞳をしないで、泰衡さん。わたし、本当に帰っていいのか迷ってしまうから)





4に続く











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