すみれ色の恋


*注意書き*

この話は無印&十六夜記の愛憎版・銀後日談を基にして作っています。
銀望前提なので
銀がかなり可哀想です。
可哀想な銀を見たくない! という方は閲覧をご遠慮くださいませ。
またストーリーの進行上、
性的描写を含むシーンがあります。
こちらにつきましてはそのシーンがあるページに注意書きをしたいと思います。









 穏やかな春風が頬を撫でてゆく。

 見上げれば空が、薄紅色に染まっていた。

 桜だ。

 泰衡の言うとおり、京にも勝る見事な桜が微笑むように薄紅の花を咲かせている。

 望美は今まで異世界でお世話になった人たちと共に束稲山に来ていた。

 朔の提案で、元の世界に帰る望美たちにお別れの宴を開くことになったのだ。

「よかったわね、天気がよくて」

 一緒に宴の料理を並べていた朔が言った。

「そうだね。ここ数日雨が降ったからどうなるかと冷や冷やしたよ」

「桜の花も綺麗に残っているし。安心したわ」

「雨で少し、花が散っちゃったけど。それでも、充分に綺麗だよね。本当に泰衡さんの言った通り、ここにしてよかったよ」

 望美は桜並木を見回した。

 奥州を治める総領である泰衡が教えてくれた桜の名所・束稲山。

 薄紅の花びらが満開に咲き誇っている。

 ここなら思い出を残すのに相応しい風景と宴をすることができるだろう。

「綺麗な桜だね、銀」

 望美は隣にいた銀に言った。

「えぇ、本当に見事な桜にございます。さすがは泰衡様のお勧めの場所にございますね。
ひとつひとつ可憐に咲き誇る花びらはまるで神子様のように清らかで美しい……」

 銀は感嘆するように息を吐いた。

「泰衡さん、来てくれそうだと思う?」

 望美の言葉に銀は少しだけ寂しそうな顔をした。

 望美に気づかれないほどの微かな表情の変化。

「泰衡さんは絶対に約束を破る人じゃないから。どんなことがあっても駆けつけてくれるんじゃいかな」

「さようにございますね。泰衡様は神子様のおっしゃるとおり、約束を破られるような方ではありませんから。
たとえ、宴が終盤にさしかかったとしても、いらしてくれるのではないでしょうか」

「銀もそう思う?」

 明るく微笑んだ望美に、銀は、

「神子様はお優しいのですね。敵同士、戦ったというのに、こんなにも泰衡様のことを心配していらっしゃる……」

「なんとなく気になるんだよね。ギクシャクしたまま泰衡さんと別れたくないって思うんだ。
もうこの先、二度と逢うことはないだろうから」

「神子様……」

「あ、なんだかしんみりしちゃった。いけないなあ、今日は一日、笑顔で過ごそうと思ったのに」

「仕方がないわよ。これが死別に近い別れ、と思うと私もしんみりとなりそうだもの」

 最後の料理をよそい、朔が言った。

「じゃあ、これからしんみりとした話は一切禁止! みんなの思い出に残るのは、寂しい別れの顔じゃなくて笑顔だよ」

「えぇ、そうしましょう」

 頷いた朔に、

「料理も配膳し終わりましたし、宴の参加者も集まってきたようですね。神子様、朔様、そろそろ席に着きましょうか」

 銀がやわらかく微笑んだ。



*****



 満開の桜の下で宴が始まった。

 棟梁である秀衝を初め、平泉でお世話になった町の人たちが来ていた。

「あんたたち、本当に帰っちまうのかい?」

 そう言いながら望美に声をかけたのは、一人の中年女性だった。

「あぁ、こんにちは」

 望美は女性に向かって軽く会釈する。

 この女性は、川湊で反物の店を営んでいる人だ。

「久しぶりだね。あれから元気にしていたかい?」

「えぇ。おばさんもお変わりないようで、何よりです」

 望美が言うと女性は、ころころと丸い顔を綻ばせた。

「あんたたちが呪詛の種を取り除いてくれたから、水浸しになることもなくなったよ。
あんたが神の加護を受けているおかげか、ご利益があったんだろうね。
呪詛の種を埋められる前よりも、店が繁盛するようになったよ」

「ご利益なんて……。わたしにはそんな力なんてないです。でも、安心しました。店も上手くいくようになって」

「本当に助かってるよ。あのとき、あんたたちを怒鳴ってしまって悪かったね。
あたし、いらいらしてたのさ。浅店に入ると毎日床が水浸し、掃除から品の整理から大変だったよ。
そうそう、あんたにどうしてもお礼をしたかったんだ」

 女性は望美に包みを差し出した。

「これは?」

「遅くなったが、呪詛の種を取り除いてくれたお礼さ。あのときは本当に世話になったね、ありがとう」

 女性の気持ちを断るわけにもいかず、望美は差し出された包みを受け取った。

 やけに厚い包みだ。いったい何が入っているのだろう。

 そんな望美の思いに答えるように、女性が言った。

「着物だよ。春らしく桜色に染めてみたんだ。桜花の刺繍も入っている。きっとあんたに似合うと思うよ」

「ありがとうございます」

 望美は頭を下げた。

「今、開けてもいいですか?」

「あぁ、構わないよ」

 望美はそっと包みの紐を解いた。

 ふわりと甘い香りがし、桜色の生地が目に飛び込んできた。

 きっと香を焚き染めてくれたのだろう。

 女性の気遣いが心に染み渡り、望美は思わず泣きそうになった。

 濃紅色と桃色で花びらの刺繍が両手の袖と、裾の部分に施されている。

「綺麗……」

 望美は着物袖を通した。

 大きくもなく小さくもなく着物は望美の身体にぴったりだった。

 望美が着物に見とれていると、

「気に入ってくれたかい? 自分で言うのも変かもしれないが……とっても似合っているね。
どこぞの公卿のお姫様みたいだ。あんたに無事に渡すことができて安心したよ。
元の世界とやらに帰っても、元気でいなよ」

「はい。おばさんもお元気で」

 望美は微笑すると、女性を見送った。



*****



「まあ、望美。それでそのおばさんから着物を贈ってもらったのね」

 驚いた朔に、望美は頷いた。

「呪詛を取り除いてくれたお礼だって」

「よかったわね。桜色なら、どんな色でも襲(かさね)られると思うわ」

 元の世界では着物なんて着る機会がない、そう思ったがあえて望美は言わなかった。

「そうだね。合わせるのが楽しみだね」

「へぇ、着物をもらったのかい?」

 興味深く尋ねてきたヒノエに望美は、

「うん」

「どんな着物か是非着て見せてもらいたい、と願ったらいけないかな。
これからはもう二度とお前の晴れ姿を見られないんだ」

「いけませんよ、ヒノエ。僕も見たい気持ちは山々ですが、まずは銀殿に見せるべきではないでしょうか。
ね、望美さんもそう思うでしょう?」

 弁慶の言葉に小さく望美は頷いた。

 望美は銀のことが好きだ。

 着物をくれた女性の次に見てもらうとしたら……次は大切な人、銀だろう。

「今離れても大丈夫でしょうか」

 恐る恐る聞いた望美に、秀衝が微笑した。

「あぁ、構わんじゃろう。懸想人に見せたい、と思うのは当然のこと。
この先、神子殿に来客があったとしてもわしがなんとかしよう。あぁ、じゃが本当に惜しいわい」

 額に手を当て呻いた秀衝に望美は驚いた。

「神子殿が元の世界に帰られることがよ。ずっとこの平泉に残ってほしい、泰衡と話しておったんじゃが……」

「泰衡殿が?」

「泰衡さんが?」

 驚いた九郎と望美に泰衡は、慌てて首と手を振った。

「いいや、なんでもない。それよりも神子殿。早く銀を探したほうがよいのでは?」

「そうだった。じゃあ失礼します」

 急かすように言われ、望美はつられるように立ち上がった。



*****




 銀はどこにいるのだろう。

 望美はきょろきょろと辺りを見回しながら、桜並木を歩いていた。

 もらった着物を着て見せたら銀はなんと言ってくれるだろうか。

 銀のさらさらした髪、やわらかな微笑み、思い出すだけで鼓動が早くなる。

 望美は桜の枝から顔を覗かせる覗く月を観て、

(秀衝さんは何が言いたかったんだろう)

 望美はさっき言われた言葉を思い出していた。

(わたしがこの世界に残ってほしい、泰衡さんと話していた?)

 泰衡さん、そう呟くたび、ちくりと心が痛んだ。

(泰衡さん、来てくれるだろうか。彼にこの着物を見せたらどんな表情をするのだろう)

 歩くのをやめ、桜の木の下に佇んだ。

 月がさらさらと降り注ぎ、桜の花びらを白く妖艶に照らしだす。

(泰衡さんにもう一度逢いたい。いや今は彼のことを考えるべきじゃない)

 銀を探さなければいけないのだ。

 それなのに頭の中はいつの間にか泰衡のことでいっぱいだった。

 仏頂面で眉間にくっきりと皺を寄せた泰衡の顔が目に浮かぶ。

 淡々とした冷静な口調、めったに見られない淡い笑み……。

(逢いたい。泰衡さんに逢いたいよ)

 銀が好きなはずなのにどうして心は他の男のことを考えてしまうのだろう。

(わたしは銀と基の世界に帰るのよ? それなのに泰衡さんに逢ってどうするの?)

 心に自問する。

(泰衡さんはわたしに残ってほしいと思ってくれた。もしかしたら――――わたしのことを想ってくれているのかもしれない)

 このまま宴を抜け出して、泰衡に逢いに行こうか。

 望美は宴の会場を見た。

 澄んだ笛の音が風に乗って聴こえてくる。

 染み渡るように心地よい音色は敦盛のものだ。

 ベンベンと笛に合わせて琵琶の演奏も聴こえる。

 やわらかくて品のよさを思わせる音色。

 誰が弾いているのだろうか。

 八葉の中で楽器が上手いのは敦盛だけだろう。

 平泉の人の中に琵琶が上手いひとでもいるのだろうか。

 望美は宴も気になったが、それよりも泰衡の方が気にかかった。

 こっそり宴を抜け出しても問題なさそうな雰囲気だ。

 望美は決意した。

 泰衡に逢いに行こう、伽羅御所に行こうと。

 銀とした夜桜を見るという約束は―――

(ゴメン、戻ってきたら絶対一緒に見るから!)

 心の中で銀に謝り、望美は走り出した。









 
2 に続く











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