人しれずこそ思ひ初めしか





「もし、神子殿がこの世界に残ってくださったなら……是非とも泰衡の嫁になってもらいたいものよ」


 昼餉のときあまりにも自然に父上が言うものだから俺は、思わず手に持っていた器を落としそうになった。


「神子殿はあの若さで、様々な苦難を経験されている。鎌倉殿のために戦ったというのに、その彼に追われるというのは……辛いことだろう。だが、この平泉におれば安泰じゃ。彼女も平穏に過ごせる……」


「父上」

「なんじゃ」

「お話中すまないが、もし神子殿がこの世界に残ったとしても、俺は彼女を娶るつもりはない」


「何を申すか。銀の話ではそなたは神子殿にぞっこんだと聞いておるぞ?」

「あぁ、御館。それは泰衡様には内緒にとお願いしたはずですのに……」

 狼狽したように銀が言う。

「細かいことは気にするでない。いずれ神子殿にも言わねばならぬこと。のう、泰衡」


「神子殿など、俺は興味ない」


「何故じゃ? 器量もよいし、優しい心の持ち主でもあるし……妻にするにはふさわしい女性だと思うのじゃが」


「生憎ですが、父上。好みというものありましてね。合わないものはどうしても好きになれぬのです」


「彼女は龍神の神子。龍の加護を受けている方だ。この地に神子殿が暮らしてくだされば……きっと末永く藤原家は続くだろう。のう、銀」


 父上は俺の後ろに控えていた銀を見やる。

 ことりと音がした。

 銀が手に持っていた器を机の上に置いたのだろう。

「はい、秀衝様の言う通りだと存じます」

「ほら、泰衡。銀もわしと同じ考えのようだ」

 父上は嬉しそうに笑った。

 その態度にかちんときた俺は、


「銀! お前は喋りすぎだ。よくもまあ勝手に俺が神子殿に懸想を抱いているなど御館に吹き込んでくれたものよ」


 振り向いて、銀を怒鳴りつけた。

 銀は恐縮したように頭を下げると、


「泰衡様の許可なく秀衝様に話したこと、お詫び申し上げます。ですが、泰衡様が神子様に想いを寄せておられるのは事実でございましょう?」


「そ、それは……」

 事実と言ったら事実かも知れぬ。

 言葉の出てこない俺に銀は続ける。


「この間、神子殿が伽羅御所にいらしたとき、泰衡様は始終、神子様のことを気にかけておいででした」


 神子殿とはたまにしか逢えぬからな。

 近づく機会もない。

 逢うとき逢うときを大切にせねばならぬだろう。


 もっとも、冷たい態度しかできない俺だから、彼女に近づいているとは言い切れないだろう。


 神子殿に嫌われてなければいいのだが……。

「あれは気にかけていたのではない。あのものが真(まこと)に龍神の神子か確かめようとしただけだ」


 俺は考えているのとは逆のことを口にした。

 俺の言葉に銀は深く項垂れる。

「申し訳ございません」

「わかればいい」

「泰衡、そうかりかりするな。銀もお前を心配しての行動をしただけのこと」

「父上、あなたは何もわかっていない。俺はこれで失礼する」

「泰衡様……まだお食事が……」

「もういらぬ、下げてくれ」

「はい」

 俺は皿に残った料理を一瞥すると、席を立った。

 一刻も早くこの部屋から出たい。

 荒々しく御簾を蹴り上げると、俺は部屋を後にする。

 風に乗って二人の声が聞こえてくる。


「まったく、泰衡は素直でないのう。あのような態度で神子殿にも接しているのか? 未来の花嫁から嫌われてしまうわ」


「御館の中では神子様は既に泰衡様の花嫁なのですね」


「あぁ。泰衡が早く妻を娶ってくれたなら、わしも心安らかに泰衡にすべてを任せることができるだろう。それが神子殿だったらなおのこと安心じゃ」


 父上、あなたの勝手な想像は本当にやめてほしい。

 期待……してしまうから。

 たとえば、俺が神子殿に想いを伝え、神子殿も俺のことを想っていたとする。

 両想いになった、めでたしめでたし。

 だが、その先が続かない、と思うのだ。

 女にどう接してよいのかわからないから。

 きっと、神子殿に呆れられるのが落ちだろう。

 弁慶殿なら女慣れしてるかもしれないが。

 彼に手ほどきを頼むか?

 弁慶殿なら女慣れしてるかもしれないが。

 手ほどきを頼むか?

 いや、からかわれて、変なことでも教えられそうだ。

 弁慶殿のことだから何を考えてるかわからぬし。

 九郎に相談するのはもっての外だ。

 暫くは否定し続けるしかないだろう。

 神子殿に想いを寄せているということを。

 大仰に溜息をつき、俺は渡殿から空を見上げた。

 晴れ渡っている瑠璃色の空が目に痛い。

「大社にでもいくか」

 俺は一人呟いた。


 邸の中ですることはあるが、父上と銀にあんなことを言われ、気がそぞろになってしまったのだから仕方あるまい。


 それに馬で走るのは気分転換になるだろう。

 自室に戻り、大社へ行く準備をしていると、銀がやってきた。

「どうした」

「泰衡様に来訪者様がいらしております」

「客人か。会うのが面倒だとも言ってられない。通せ」

「はい」

 暫くして銀は再びやってきた。

 後ろには見覚えのある薄桃色が見えた。

 来訪者とは龍神の神子殿のことなのか?

 俺は心がざわめくのを抑えられなかった。

 神子殿と逢うのは幾日振りだろう。

 わざわざ俺を訪ねてくれるなんて、なんと幸運なことか!

 二人が部屋に入ると、俺は神子殿にあなたに逢えて嬉しいという喜びを心に封印して、言った。

「久しぶりだな。神子殿」

「お久しぶりです、泰衡さん。お元気でしたか?」

「まあな。神子殿も変わりないようで……」

「最近、呪詛をまた一つ浄化したんですよ」

「そうか」

「お店に埋められていたから探すのが大変でした。店のおばさん、怒ってわたし達を追い出すし」

「そうか」

「…………」

「……」

 沈黙。

 そうか、しか返事ができない自分が恨めしい。

 心の中では、平泉のために呪詛浄化に協力してもらいありがとう、と言っているのに。

 もっと会話の上手いものであれば、実りある話に発展させられただろう。

 銀が二人の沈黙を破るように、

「あぁ、神子様、泰衡様。遅くなりましたが、座られてください」

 畳の上に置いた円座を指差した。

 銀に礼を言うと、俺も神子殿もそして銀も円座に座った。

 再び沈黙が訪れそうな雰囲気になる。

「泰衡さん! もう回りくどくせずに言いますね」

「神子殿?」

 俺は回りくどく、の意味がわからず目をしばたたかせる。

「神子様は泰衡様と軽くお話してから、本題に入ろうとしたのでしょう」

 小声で銀が教えてくれた。

「今日の午後、あいていますか?」

「あいてる? 何がだ?」

「時間ですよ。もし泰衡さんの仕事がなければ一緒に行きたいと思ったんです」

 神子殿の言葉に俺は驚いた。

 一緒に出かけたい?

 神子殿が、俺を誘うなんていったいどういう風の吹き回しだ?

 俺は神子殿にあまりよい印象を与えてない、と思う。

 彼女の言葉を、俺への好意と受け取っていいのだろうか。

 俺が逡巡していると、

「あのう……やっぱり無理ですか?」

 神子殿が悲しそうに言った。

 あぁ、行こう。と喉まで出掛かっているが、素直に言えないのだ。

 許せ、神子殿。





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