真夏の六花






 

「俺、ちょっと買い物してくるから。一時間後、ここで待ち合わせようぜ」

 勝浦に着くやいなや、将臣はそう言って駆け出してしまった。

 後に残された望美と知盛は互いに顔を見合わせた。

 いったい何の用事があるのだろう。

 自分たちも連れて行ってくれてもいいのに。

 いや、単独行動が好きな将臣なら仕方がないことなのかもしれない。

 疑問の処理に追われている望美とは違い、知盛は将臣がいなくなったことを気に留めてないようだった。

 それを表すかのように、知盛はひとりふらふらと歩き出した。

 将臣のことを頭の隅に追いやって、望美は、

「ちょ、どこに行くのよ! 知盛!」

「さあな」

 曖昧気味に笑い、知盛は歩き出す。

「さあな、って答えになってない!」

 望美は知盛の後を追いかける。

 知盛は角を曲がろうとしていた。

(は、早い)

 ゆっくりのように見えて、知盛は結構歩く速度が早い。

 身長差があるせいだろうか。

 望美は早足で知盛に追いつくと、

「どこ行くのよ」

 もう一度、同じ質問を繰り返す。

「こっちの方向だと、海だよ」

 望美は前方を指差した。

 きらきらと粉砂糖のように輝く砂浜、青い海が見えた。

「海に行くの?」

「さて、どうするか。神子殿、お前はどうしたい?」

 いきなり話の矛先が自分に回ってきて、望美は面食らった。

 知盛は望美がついてきてもついてこなくても気にならない、という感じだったのに。

(気が変わったのかな?)

 望美はこっそり知盛の顔を見た。

 眠そうな目。

 やる気のなさそうな表情。

 知盛が何を考えているのかはさっぱり掴めなかった。

 望美はフルスピードで考える。

 彼と行くなら海がいいんじゃないか。

 もうすぐ日没だし二人で夕陽を見るのも面白そうだ。

 それに……平知盛、という人物のことをもっと知ることができるかもしれない。

「海に行こう、知盛」

 望美の言葉に知盛はほおっと頷いた。


「市を見なくていいのか? あそこに売られている珊瑚とか、神子殿が好きそうな気がしたが……。クッ、まあいい。お前に付き合うさ」


 最後のほうはひとりごちるようにして知盛は言った。

 知盛と買い物するのも面白いかも、と思ったが、夕陽の方が魅力的だったので望美は訂正しなかった。

 二人は海へ向かって歩き出した。

「そういえば……」

 意味ありげに呟いて知盛が足を止めた。

「どうしたの、知盛。って……え、えぇっ!?」


 望美は知盛の行動に驚きを隠せなかった。

 手のひらに感じる自分ではない、他人のぬくもり。

 自分の倍はありそうな太く逞しい指。

 何事もないかのように、とても自然に、手を握られていた。

(知盛と……知盛と……)

 心臓がフルスピードで鼓動を刻み始める。


 先ほど、知盛が望美の飲み物を奪って飲んだ関節キス事件といい、手を繋ぐことといい、今日はなんと知盛と接触する機会の多いことか!


(こんなんじゃ心臓が持たないよ!)

 心の中で望美は叫ぶ。

 きっと今、自分の顔は真っ赤になっているだろう。

 それを知盛に見られたくなくて、望美は俯いた。

 どうして手を握られたのだろう。

 もしかして知盛もわたしのことを……!?

 いや、それはないだろう。

 だとしたら……どうして?


「神子殿はよく迷子になる、と将臣殿から聞いている」
 知盛そんな望美の心理など関係ないといった風情で話し出した。


 わたしじゃなくて、それは将臣くんの幼少の頃の話だよ、と望美は心の中で突っこむ。


「手を握れば、お前が俺の傍から離れることはないだろう? もうそろそろ陽が沈む。闇の中でお前の姿を探すのは大変だ」


 真顔で淡々と知盛は言った。

「……」

 がらがらと音を立てて望美の中の淡い期待が崩れ落ちる。

 何か意味があると思っていたのに、残念でたまらない。

 迷子にならないようにするために手を繋がれた、なんて。

 子供じゃない、と声を大にして叫びたい。

 さて、知盛の言葉になんと答えようか。

 黙ったままいるのもおかしいだろう。

 心配してくれて嬉しいというべきか。

 それとも、迷子なんかならないからと言って手を解くべきなのか。

(だけど……。こんな些細なことで心配してくれるなんて優しいな)

 不本意ながらも小さな喜びに、望美は頬がほころんでしまうのをとめられない。

 前の運命で生田であったときから、ずっと望美は知盛のことが気になっていたのだ。

 血を求める獣の瞳をしている、というのはいまだに納得できないが。

 その彼とこうして事情はどうであれ、手を繋いでいるのだから。


 知盛はどう考えているかわからないが、恋人同士のように手を繋いでいると思うことにしよう。自分だけは。


(悪いことよりいいことを考えなきゃ。しっかし知盛の手ってあったかいなあ。それともわたしの手が異様に冷たいだけ?)


「神子殿の手は冷たいな」

 体温差について感じていたのか、知盛が言った。

「まるで六花のようだ」

「手解こうか?」

「いや、このままでいい。クッ、このくらい冷えているのもなかなか心地よいな」

 ぎゅっと熱をいや冷えを奪われるように手を握られる。


「クッ……頬を朱に染めるとは……ただ軍に強い、だけではなかったのだな。したたかと思えば、可憐な花のように恥じらう」


「……」

 あぁ、もうさっきから、心臓が止まりそうになるようなことを言いすぎだ。

 ただ、迷子にならないように手を繋ぐにしては悪戯が酷すぎる。

 手をわざと強く握ったり、吐息がかかりそうなほど顔を近づけて話したり。

(知盛も楽しんでるような気がするし)

「どうした? 足が止まってるぞ」

「知盛が以外だったから」

 やっとのことで望美はそれだけを言った。

「以外……?」

「手を繋いできたのが」

「迷子にならぬように、と言っただろう。それとも神子殿は別の意味だとお考えになったのか」

(図星だ、知盛サン)

 顔に表情が出てなければいい。

 それを突っ込まれてからかわれるのは嫌だから。

 気にしてないという風を装って、

「そんなこと考えるわけないじゃない。知盛のほうこそ、何かあるんじゃないの?」

「……何かあってほしいのか?」

「はっ?」

「それがお望みなら応えてやってもいいぜ」

 愉しむように知盛は言った。

(これって……知盛にはめられた!?)

「そ、そんなことあるわけないでしょう? さ、早く行こう」

 すたすた歩いて、知盛を置いて行くつもりだった。

 が、前に進めない。

 それもそのはず、手を繋いだままだったし、知盛がその場所から動こうとしなかったからだ。

「まあ、そんなに焦るなよ」

 心の奥を射るような眼で知盛が自分を見た。

 自分の中の想いをみられているような気がして……。

「さっきの話はもう終わったの。早く行かないと時間がなくなるよ。ほら、知盛も歩いて!」

 望美は知盛の背中をぽんと押した。






*****





 約束どおり一時間後、望美と知盛は将臣と合流していた。

「さ、そろそろ暗くなってきたし、この辺で別れるか」

「うん。将臣くんともう離れないといけない、と思うと寂しいけど……」

「なーに、生きていれば何度でも逢えるって」

「生きていれば……ね」

 クッと知盛が意味ありげに呟いた。

 そして望美に向き直ると、

「今日はなかなか面白かったな」

「知盛!」

 頬を膨らませた望美に将臣が驚く。

「おいおい、どうしたんだ二人とも」

「将臣くん、知盛に変なこと吹き込んだでしょう? そのせいで恥ずかしかったんだからね!」

「は? 何言ってんだよ?」

 ぷぃっと顔を背けた望美に知盛がやれやれといった体(てい)で、

「怒らせてしまったな」

「なんかわからねぇが、半分は知盛、お前だろう?」

「さあ、それはどうかな。だが、なかなか愉しかっただろう? 俺も、お前も」

 距離があるのに、知盛に耳元で囁きかけられたような気がして、望美は思わずぴくりと震えた。

 鼓動が早くなってゆく。

 顔は紅くなってないだろうか。

 表情を見られたくなくて望美はただ、下を向いて頷くのが精一杯だった。

「後でゆっくりと聞かせてもらう。そろそろお前は帰らないといけないしな。一人で大丈夫だろう?」

「迷うなよ」

 知盛が目を細めた。

「……また、そんなこと言って!」

「本当のことだろう?」

「知盛の馬鹿!」

 馬鹿と言われても、知盛は気にならないのか、愉しそうな表情を崩さなかった。

「じゃあ、これでお別れだな。元気でいろよ」

「うん。二人ともね」

「あぁ、神子殿もお元気で」

 二人は望美とは別の方向へ去ってゆく。

 望美は左手を見た。

 さきほど知盛と繋いでいた手だ。

 まだじんじんと痺れるようなあたたかさが残っている。

 思い出しただけで、身体が熱くなる。

(知盛はわたしのことどう思ってるんだろうか)

 本心を聞いていればよかったと少しだけ後悔する。

 聞いたところで誤魔化されそうな気もするが。

(また逢ったとき、かな? 戦場で……)

 ざあっと波が打ち寄せてくる。

 波飛沫が粉砂糖のようにきらきらと輝いて消える。

 ふと、前の運命で知盛と戦ったことを思い出した。

 敗北した彼は壇ノ浦の青い海の底へと――――。


(一生聞けないかもしれない? でも――――今はそのことを考えるのはやめよう。知盛過ごした楽しいことだけを思おう)


 浜に伸びた自分の影が目に入った。

 さっきまでは自分の隣に二人がいて……。

 マイナス思考を払うように頭を振った。

 少しだけ目頭が熱くなったのは、汐風のせいだろうか。

 放っておくと大変なことになるかもしれない。

「さあ、もう帰らなきゃ。みんな心配している」

 望美は零れそうになった涙を袖で拭うと、勝浦の宿へと走り出した。




END







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