知る日とぞ知る、梅の花




 

「……かね………あかね」
 誰かが呼んでいる。
 うとうととしていたあかねは目を覚ました。
 目をこすりながら、声のした方に視線を向ける。
 夜が更け始め、辺りは真っ暗だった。
 何も見えない。
 だが、御簾の向こうに人の気配がする。
「誰かいるの?」
 問いかけるが返事はない。
 手探りで道具を探し出し、燭台に火をつけた。
 部屋全体が昼間のように明るくなる。
 御簾越しに人の影が浮かび上がり、
「季史さんですか?」
 その姿に見覚えがあるような気がしたのだ。
「あぁ……」
  影はゆっくりと首肯する。
「今、開けますね」
 御簾を上げ、あかねは季史を招こうとした。
 しかし、男は拒むように首を振った。
「夜分遅くにすまない。どうしてもそなたに見せたいものがあるのだ」
「季史さん……」
「ついてきてほしい」
 季史に請われ、あかねは外にでるため着物を羽織った。





*****





 二人は藤姫の屋敷を離れ、歩いていた。
 月明りが行く道を照らし出す。
 昔の月はこんなにも明るかったんだな。
 あかねは感嘆する。
 夜は電気をつけることが当たり前だった、自分が住んでいた世界。
 月明かりなんて意識したことがなかった。
 いや意識したとしても、それが家や街燈の明かりなのか、月明かりなのか判断がつかなかっただろう。
「月が翳ってきた。私の衣の袖を握ると良い」
 あかねは言葉に甘え、季史の袖を握った。
 暗闇でも普通に見えるんだ!
 恐る恐る前に進むあかねに対し、季史は何の支障をきたすことなく歩いている。
 この時代の人は目がよかったのかもしれない。
 それとも、季史が怨霊の故、普通の人より夜に眼が聞くのだろうか。
 あかねは再び感嘆した。
 さくり、さくり。
 草を踏みしめ二人は進んでゆく。
 季史が不意に立ち止まった。
「ここがお前に見せたかった場所だ」
月はまだ隠れている。
 ようやく慣れてきた目で見回しても、あかねには暗すぎて何も見えなかった。
「いったい何があるんですか?」
「梅だ」
「梅?」
 あかねは眼を凝らし探そうとしたが、どこにあるのかわからない。
 うろたえていると季史から手を引っ張られた。
 手を握られ、あかねは恥ずかしさで赤くなる。
「ちょ、ちょっと季史さん!?」
 季史はあかねの声など届かないようだった。
 手を緩めることなく歩いてゆく。
「ここに梅の木がある」
 季史はあかねの手を解き、目の前を指差した。
 あかねは手を伸ばし見えない木を触ってみる。
 ごつごつした木肌が手のひらから伝わってきた。
「どうしてわかったんですか?」
「月夜には それとも見えず 梅の花 香 をたづねてぞ 知るべかりける……。梅の花は香りでその場所がわかる……」
「確かに……ほのかに香りがする」
 息を吸い込めば甘いような酸っぱいような香りが胸いっぱいに広がった。
「今は暗くてわからないが……満開に咲いている」
「どうして……夜に?」
 季史の言葉にあかねは困惑した。
 満開の梅を見るなら昼間のほうが綺麗だろう。
 桜よりもやわらかな曲線の花びらをつけた枝に小鳥が寄り添うように止まる……そんな光景のほうが美しいはずだ。
「夜の梅も趣がある……それをあかねに見てほしかった。気に障ったのならすまない」
 季史が詫びるように言う。
「季史さん……」
 あかねが返答に困っていると、少しずつ視界が明るくなった。 
  月が雲から出てきたのだ。
 仰げば月明かりに照らされた梅の白い花びらが見えた。
「綺麗……」
 あかねは呟くように言った。
 昼とは違う、漆黒の闇に艶かしく浮かび上がるほの白い梅の花。
 それは枝全体を白く染め、満開だということを教えてくれた。
 桜も顔負けだろう。
 うっとりと梅の花に見入っているあかねに、季史は眼を細める。
「ありがとう、季史さん」
「礼はいらぬ。そなたが喜んでくれればそれでいい。君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る」
 最後の和歌はあかねに聞こえぬよう小声で詠んだ。





 そなた以外に誰にこの梅の花を見せようか。
 この和歌のように、そなたを私だけが知る女性(ひと)にできるならば……。
 あかね、そなたを限りなく愛おしいと思う。
 たとえ、この身がすでに滅びていようと、お前への想いは命ある者とかわらぬ。





 月明かりが、あかねと季史を優しく照らす。
 二人は、夜桜ならぬ夜梅を満喫したのだった。








―END―


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