この想いは君よりも強く



「うぅっ……げほげほげほっ」


 ほの暗い部屋の中に咳き込む音が木霊する。


 好きよ、そう囁いてアリスがナイトメアにキスをした直後のことだった。


「大丈夫? ナイトメア」


 苦しそうに咳き込むナイトメアの背中を、アリスは手馴れた手つきでさすった。


 キスをするたびに咳き込まれるのは、もはや日常となりつつあるが。やはりさびしいものがある。


「私だって咳き込まないときもあるぞ?」


 心を読んだのかナイトメアが言ってきた。


 咳はだいぶ治まったものの、喉がぜいぜい鳴っている。


「そうかしら」


 アリスはわざと冷たく言い放つ。


 毎回毎回咳き込んで気分悪くして。


 キス以上はなかなか先へ進まない。


(未だに最後までいった事ないのよ? ハネムーンのときはそれどころじゃなかったし)


 旅行先でナイトメアが体調を崩して、それはもう大変だったのだ。救急車を呼んだのに「私は健康だ!」と言い張って乗らないし、運ばれた病院先では男三人がかりで押さえつけられ点滴をされる。看護師のいないところで薬をこっそり窓から捨てようとした等々。


 ハネムーンは蜜月というが、アリスの場合はそうではなかった。
 羞恥月、というべきだろうか。


 蜜よりも甘い出来事など一つもなく、夫の病院騒動によって恥ずかしくてしたがなかった出来事ばかりあった。


 医師から看護部から「ナイトメア様はもしやクローバーの領主のお方では……」と問われたときは、夫の面目のなさに恥ずかしくて仕方がなかった。本気でナイトメアを置いてクローバーの塔に戻ってやろうかと思ったぐらいだ。


「新婚旅行のことを考えているのか? あのときは……


「わざわざ口にしなくていいわ。あんな苦い思い出、話題に上るだけで不愉快よ。早く忘れたい」


 アリスはナイトメアの言葉を遮った。


――――っ! 忘れたいって! 一生に一度の新婚旅行なのに! 酷すぎるっ!」


「酷くないわよ。それにあれは結婚後すぐにふたりで行ったといっても、新婚旅行なんて言わせない。どうしても言う必要があるというならナイトメア恥さらし旅行だわ」


「ひ、酷い!」


 ナイトメア叫ぶように言った。そのとたん、ごぼっと不気味な音が聞こえ、ナイトメアの口から真っ赤な鮮血が滴り落ちた。ナイトメアは気分の悪いときだけでなく、興奮したときもたまに吐血する。これもたぶん、興奮したからだろう。


点々散った紅を見て、まるで事情の後みたい。なんて、アリスは悠長に考える。


 ナイトメアは止まらないのかごほごほと咳き込み始めた。


 アリスは溜息をつくと、ナイトメアの背中を先ほどと同じようにさすった。


 なんだかんだ言いながらもナイトメアはアリスにとって愛しい人だ。
子供っぽいところも、仕事からすぐ逃げようとするところも、すぐに吐血するところも、勝手に心を読むところも全部全部ひっくるめて愛しい、好きだ。


(もっとナイトメアが健康的だったらいいのに。あ、でも健康的すぎるってのも困るわ)


 どこぞの城の爽やかな笑みが印象的な騎士を思い浮かべる。彼は不幸な目によく合うが、それにも負けずいつも健康的だ。


(少し、いや八割ぐらい不健康だったらいいのよ)


「君は私に健康になってもらいたいんじゃなかったのか?」


 ナイトメアがまたしても心を読んできた。


 手にはいつの間にか白いハンカチが握られている。彼がいつも紳士の身だしなみだ、と言っているハンカチ。困っている人に渡すために何枚も常備しているらしいが、果たしてそれが困っている人の手に渡るシーンはあるのだろうか。ほとんどはナイトメア自身が使ってそうだ。



「そうよ。でも健康になりすぎるのも困るの」


 なんて自分勝手なんだ。都合がよすぎる。健康になってほしい反面、その逆を望んでいるとは。


(だって健康じゃないナイトメアなんて考えられないから)


 初めて逢ったときからナイトメアは不健康だった。クローバーの城に滞在させてもらっていたときもずっとナイトメアは血を吐いて、病院嫌いだった。その彼が完全に健康的になってしまったらきっとアリスは戸惑うだろう。この世界に来たこと、急な引越しなど大抵の変化には慣れたはずなのに。アリスは今、愛しい人の変化を望まずにいる。


(それだけ普段のナイトメアが好きなのよね、結局は)


 変わらないでいてほしい。そのままでいてほしい。あなたがありのままのわたしを好いてくれたように、わたしもありのままのナイトメアを好きでありたい。


「あのなあ、アリス」


 やや不機嫌そうにナイトメアが自分を呼ぶ。


 都合のいい考えをする自分にさすがに呆れたのだろうか。


「体力的にも健康的にも、確かに私は君に劣るかもしれない……


 ナイトメアはそう言いながら目線を合わせてきた。


 アリスも吸い寄せられるようににじっとナイトメアを見つめる。


 月明かりに照らされた銀色の髪がきらきらと光る。いつもは青白い顔がなんだか健康的に見えるのはきっと月光が白いせいだろう。


「それでも私はな……アリス。君を想う気持ちは君には負けないぞ」


「? どういうこと?」


「つまり、君が私を想う気持ち以上に、私が君を想う気持ちの方が強いってことだ。これだけは絶対に君には負けない!」


 負けない、とその部分だけ強めて言ったナイトメアは得意げな顔をしている。


 いきなり宣言されアリスは唖然とする。


(ま、でも一つぐらいはナイトメアにも勝たせてあげないとね。いいわよ、ナイトメア。あなたのほうがわたしを想う気持ちが強くても)


 体力面も健康面もアリスが勝っているのではなく、本来はナイトメアが病弱すぎるだけの話だから。


 アリスは何も言わずにナイトメアの胸に身体を預けた。


 ナイトメアは驚きつつもアリスを抱き締めてくれる。


 胸に顔を埋め、服越しに伝わるナイトメアの胸に耳を押し当てた。チクタクチクタク……。時を刻む音が聞こえてくる。彼には心臓の変わりに時計が入っている。規則正しくて機械的で少し寂しい音。でもこの音はきっとナイトメアにしか刻めない。彼だけのもの。


 もう少し元気になったら新婚旅行をやり直そうね。思い出に残るような素晴らしい場所なんて望まない。この間のようなことはごめんだから。近くても、知っている場所でもいい。思い出に残るような時間をあなたと過ごしたいの。


「あぁ、私も君の意見に賛成だな。病弱のゆえ、君にこれからも迷惑をかけるだろうが、少しずつ減らしていきたいと思っている。是非、もう一度やり直そうじゃないか。新婚旅行を」


 うん、そうしよう。


 アリスはやわらかく微笑した。


 このひとは自分の心をやさしくしてくれる。愛しいという気持ちを呼び起こしてくれる。


「好きよ、ナイトメア」


 アリスはナイトメアの頬を両手で包み込む。


 ナイトメアの唇がほのかに赤い。こういうときだけ少し健康的に見える。


 きっと彼の体温もアリスと同じように上昇しているのだろう。


 愛しくて、大好きで仕方がなくて。


 拭いきれてない血が唇の端についていたのでアリスは指先でそっとなぞった。


「大好き」


 もう一度囁くように言ってアリスはナイトメアに唇を重ねた。



END

クロアリ・ナイトメア様EDから妄想。
ふたりは結婚するんだと信じています!!
お読みいただきありがとうございました!






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