君が足りない




 二月十四日が近くなるとそわそわしてしまう。

 別に女の子からチョコがもらえるかどうか、ってことを心配しているわけじゃない。

 あの子が……誰にチョコを渡すのかが気になるんだ。





*****





「ねぇねぇ、千尋。バレンタインは誰に渡す? あたしはね……」

 女子たちが陽気に話す声が聞こえる。

 普段だったら昼休みは机に突っ伏して眠るんだけど、今日は別。

 会話に千尋が加わっているから。

 窓の外を見るふりをして千尋たちの会話を聞いてた。

「へぇ、じゃあ、美代は沢村くんに渡すんだ」

「うん。今年はチョコレートケーキにするの。去年、喜ばれたからさ」

「美代は凄いなあ。ケーキ作れるんだもん。わたしはまだ手作りチョコ作ったことないよ」

「あ、でも、毎年風早先生と葦原君に渡してるんでしょ?」

「家族だからってこともあるけど……いつもデパートで買ったチョコを渡してるな」

「ねぇね、話変わるけど、那岐君って甘いもの大丈夫なの?」

 会話に別の女の子が加わる。

「うん、大丈夫みたいだよ。チョコとかケーキとか普通に食べてるし」



「ケーキか。あたしも美代みたいに作れたら那岐君に手作りケーキ渡すのに! ね、美代、教えて! ついでにちぃも教えてもらおうよ! いるでしょ? ちぃにも好きな人!」



「う、うん」

 曖昧気味に答える千尋。

 いるんだ、好きな人。

 瞬時に最悪なことを聞いてしまった、と後悔する。

 こんなことならいつも通り眠っていればよかった。

 考えてみれば彼女は高校二年生。

 好きな男ぐらいいてもおかしくない年だ。

 毎年チョコをもらっていたのは家族だから。

 そうだ、もらってたのは僕だけじゃなく風早も、だった。

 イベントに関して興味が薄いもんだからすっかり忘れていた。

(千尋が好きなのは誰なんだ? 風早か? それともクラスの誰か?)

 気になる!

 僕は教科書を読むふりをしながら千尋たちの会話の続きを待った。

 だが、彼女たちの会話に千尋の好きな人が出ることはなかった。





*****
 




「…………甘い」

 リビングのドアを開けたとたんに漂ってきた甘い香り。

 とろーんとしたこの甘みはチョコレート特有のもの。

 千尋が手作りチョコに挑戦しているのだろう。

 とりあえず、キッチンに行ってみる。

 淡い水色の生地に花柄がプリントされたエプロンをつけた千尋が、流し台に立っていた。

「千尋……」

「あ、那岐! 起きたてんだ!」

「あぁ、ついさっきね」

「折角の土曜日なんだから、那岐もどこか行けばよかったのに。昼寝で過ごすなんてもったいないわ」

「そうか? 雨の降る日に出かけても仕方ないだろう? わざわざ服を濡らしに行くようなものだぜ」

「確かに濡れるけど……でも雨音も趣が合って素敵よ。だいたい那岐は……」

「僕の話はどうでもいいよ。で、千尋、何作ってるんだい?」

 僕は千尋の手元を覗きこむ。

 チョコレートのついたボールや鍋が水に浸かっていた。


「美代……加島さんから教わったチョコを作ってるの。ケーキは難しそうだったから、別のものにしたんだけどね」


「へー。今年は手作りか」

「ふふっ、一生懸命作ったんだよ。もうラッピングしちゃったから見せてあげられないけど」

「誰かにあげるのかい?」



「まあ……ね。あ、そういえば、牛乳買い忘れたんだ! 手作りチョコの材料を買いに行ったついでに、って思ってたんだけど……。ゴメン、那岐、買ってきてくれない?」



 両手を合わせてお願いされ戸惑ってしまう。

「買い行ってもいいよ。千尋は今片づけをしているからね」

「ありがとう、那岐!」

 嬉しそうな千尋の声を背に僕はドアへと向かう。

 なんだか、無理やり話を逸らされた気がする。

 本命がいる、っていうのは本当だったんだ!

 千尋が夢中になる男。

 どんなやつだろう。

 風早のように狂ったように彼女を溺愛するやつは却下だな。

 そんなキャラは風早ひとりで十分だ。

(明日、千尋が出かけるようだったらこっそりついて行こう)

 バレンタインデーは日曜日だから、多くの女子が男子を呼び出して告白するだろう。千尋も例外ではない、はずだ。





*****





「はい、那岐へ」

 と部屋の前で手渡されたもの。

 それは淡いブルーの不織布に包まれていた。

「これは……?」

 驚いて尋ねる。

 時間帯は朝、だ。

 千尋のことが気になって寝付けなかった僕は珍しく七時に目が覚めた。

 千尋はもう起きていた。

 僕の姿を見つけるやいなや、袋を渡してきたのだった。


(バレンタインデーのチョコってのはまず、本命に渡すんじゃないのか? まだ千尋は出かけてないよな? それとも順番は関係ないのか?)


 ぐるぐると頭の中で疑問が回る。

「バレンタインのチョコよ」

 千尋はやらわらく微笑んだ。

「あ、ありがとう……」

 ぎこちなく礼を言う。

「今年は手作りチョコに挑戦したんだよ。気に入ってくれると嬉しいな」

 は、そうか。

 きっとこれは味見をしてくれ、と言っているんだ。

 千尋は料理下手ではない。

 だが初めて作るものにはやはり不安があるのだろう。


 手作りチョコが微妙な味で本命にふられるかもしれないなら、その前に那岐に食べてもらって、よければそのまま渡すし、悪ければ買うのだ。


 僕は千尋の顔を見た。

 ここで僕が食べなくては、彼女は困ることになるだろう。


 応援するのが本当だろう。だけど僕は到底そんな気分ではなかった。是非とも本命にふられてくれ! そう思いながら、


「今開けてもいいかい?」

「もちろん」

 少し恥ずかしそうな千尋。

 あぁ、図星だったのか。

 落ち込みそうな気持ちを奮い立て、僕は袋のリボンを外した。

 口が開いたとたん、ふわりと甘い香りが漂ってきた。

 そっと中に入っていた透明な袋を取り出した。

「きのこ型?」



 きのこの山、のようにビスケットにきのこっぽい形のチョコレートがついていた。市販のものと違う点は、きのこに色とりどりのビーズぐらいの小さなチョコがまぶされているところ。



「うん、きのこだよ。那岐がきのこ好きだから、その形にしたんだ」

 いくら僕がきのこ好きだといっても、チョコの形まできのこで食べたいと言う願望はない。

「確かに僕はきのこが好きだよ。だけど、お菓子にまで持ってこなくてもいいじゃないか」

「嫌だった? 那岐が喜ぶと思ったのに!」

「ま、こんな形も面白くていいけどね」

 僕はきのこをひとつ摘んだ。

「じゃあ、頂くよ」

 かりっと小さな音と共に、甘い香りが口の中に広がる。

 ビターだろうか。

 少しほろ苦いカカオの味だ。

(美味しい……でも何かが足りない)

 甘さじゃない。

 「おいしい?」

 僕が黙っていたのを気にしたのだろう。千尋が恐る恐る聞いて来た。

「うん。美味い。千尋にしては上出来だ」

「那岐に気に入ってもらえてよかったな」

 千尋は嬉しそうににっこりと微笑んだ。

 あぁ、この笑顔を本命にも見せるのだろうか。

「ねぇ、千尋。本命にもあげるの?」

 気がついたら言葉が飛び出ていた。

 しまったと思ったときには後の祭りだった。

 千尋は小首を傾げつつ、

「本命? どうしてそんなことを聞くの?」

「本命にも手作りチョコなのか?」

「そ、そうだけど……?」

 彼女は僕の意図が掴めない、といった表情だ。

「ふーん、喜ぶだろうね。千尋の好きな本命のやつ」

「何でそんな言い方をするの?」

「……」

「嬉しくないの?」

「嬉しいよ」

「じゃあ、何で本命とか出すの?」

 彼女の声は震えていた。

 見ると千尋は泣きそうな顔をしている。

 本命に渡すんだろう? 僕にくれたのは家族だから。そう、家族チョコ。

 千尋はきっと僕を見上げてきた。

 潤んだ瞳で。

 本命のことを家族がただ聞いただけだ。

 そんなに怒る内容ではない。 

「べ、別にいいだろう?」

「全然よくない! わざと言ってるの?」

 むっとした千尋が詰め寄ってきた。

 反射的に僕は一歩下がる。

 ひんやりと堅いものが踵に当たる。

 壁だ。

「わたしは……わたしは……」

 千尋の言葉が途切れる。

「好きだから、那岐にあげたの。この手作りチョコだって那岐にしかあげてないんだよ?」

「僕にしか?」

 突然の告白に僕は衝撃を受ける。

 僕にしかあげてないということは、つまり、僕が本命だ、ということだ。

(ほ、本当か?)

 信じられない。

「本当よ。風早にはあげてないんだから」

「千尋……」

「那岐が、本命なの!」

 呆然としている僕に千尋は半ば怒ったように言った。

「手紙で告白するつもりだったのに」

 一転して千尋は恥ずかしそうな顔をした。

 よく見ると不織布の袋の中にカードが入っている。

「これでふられたら、笑いものだわ」

 千尋が自嘲するように呟いた。

「ふられるわけないだろう」

 あぁ、やっとわかった。

 足りなかったもの。

 それは――――目の前で泣いている少女。

「那岐?」

 僕は千尋を引き寄せると、その耳元で、そっと囁いた。

「手作りチョコありがとう。大好きだよ、千尋」




END







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