「そんなもの買ってどうするのさ」

 那岐は千尋が立ち止まった売り場の商品を見て、溜息をついた。

「そんなもの…って言い方はないじゃない。ラムネなんて祭りの時以外見るのって珍しいでしょ? だから買うの」

 千尋は那岐の顔を見向きもせずに答える。棚からラムネ瓶を取り出し、買い物籠の中に入れる。ごとり、っと瓶の音が響いた。

 なんだか気に入らない。

 千尋がラムネを買おうとするのが。

「珍しいからって……くっだらないな」

「そんなにラムネを馬鹿にするなら飲まなくていいわよ。わたしと風早の分だけ買って帰るから」

 千尋の色白の手が買い物籠に伸びる。三本きちんと立てられたラムネ瓶。その一本に彼女の手が触れた。瓶を持ち上げようとする彼女の細い手首を那岐は制した。

「何よ」

 千尋は驚いたように那岐を見る。

「そのままでいい」

「やっぱり那岐も飲みたかったんでしょ? 変に意地なんて張らずに、素直に言えばいいのに」

 千尋は瓶から手を放すと、ちょっと怒ったように言った。

 違う、飲みたかったんじゃない。

 買わないと千尋の中から僕が外されそうな気がして……。

 それでとめたんだ。

「もう昼食の材料は揃えたね。帰ろうか、那岐」

 千尋は手に持っていたメモと買い物籠を確認する。二人はレジへと向かった。

 

 スーパーからの帰り道。那岐は前をすたすた歩いてゆく千尋の後姿をぼんやりと眺めていた。金色のやわらかな髪が揺れ、その隙間から見えるうなじが夏の太陽に照らされ、白く光る。

那岐は先ほどの会話のことを考えていた。

那岐自身、ラムネが嫌いなわけではない。祭りに行って見つけた時は飲むし、それなりに美味しいとは思っている。

それなのに、どうして先ほどは千尋の買い物の邪魔をしたのだろうか。

那岐は一人小首を傾げる。

彼の手元には白いビニール袋に入ったラムネ瓶がかちゃかちゃと音を立てている。

透明な青色の瓶、その中に栓としてはめ込まれているビー玉。

何か引っかかる。

那岐は記憶の糸を手繰り始める。

っと、そのとき。

「那岐、ぼうっとしてないで、早く帰ろう。日射病になるよ」

 千尋の声に我に返る。

 前を歩いていたはずなのに。

「那岐が遅いから、戻ってきたの」

 表情から読んだのか、千尋は不機嫌そうに言った。

 

「ラムネじゃないですか! 珍しいなあ!」

 風早が目を輝かせる。

彼はテーブルの上に置かれたラムネ瓶を見ていた。

「スーパーで特売品として売ってたの」

「そうだったんですか。千尋、買ってきてくれてありがとうございます」

「箱でも売ってましたか?」

 風早が尋ねる。

 リビングのソファーに横になって、二人の話を聞いていた那岐はいやな予感がした。

「えぇ」

「後で車を出して、買占めに行きましょう。いやはや嬉しいなあ。夏祭りまであと一ヶ月ありますから。その前にラムネが飲めるなんて」

「買い占めるなんて……風早そんなにラムネが好きだったの?」

 千尋の問に風早は大きく頷く。

「幼少の頃から好きでしたよ。ほんのり甘く、じゅわーっとくる炭酸。暑いときは飲むと爽快な気分になります。瓶の中にあるキラキラとしたビー玉を取るも楽しかったですね」

 豊葦原にラムネ瓶など存在しないだろう?

 那岐は心の中で突っ込む。

 まったく、どうしたら過去を捏造して言えるのだろうか。

 それとも幼少の頃、この世界に来たことがあるのか?

 那岐の脳内にいくつもの疑問が浮かぶ。

 風早に聞けば解決するだろう。

 でも、面倒だ。

 那岐ごろりとソファーの上にうつ伏せになった。

 過去を風早のまじないで封印されている千尋は、彼の言葉を鵜呑みにしているようで。

「わたしも、ビー玉を取るの楽しかったな」

 と話題に花を咲かせている。

「くだらない」

 那岐は前髪をかきあげながら立ち上がった。そしてそのまま廊下へと続くドアへ向かう。風早の声が追いかけてきた。

「那岐、夕食はいいんですか?」

 那岐は答えずに、そのままリビングを後にする。

 部屋に戻ると那岐は机の引き出しを開いた。そしてひとつの小箱を取り出す。その小箱の中にはビー玉がいくつか入っていた。それはラムネ瓶の中に入っていたものだった。

この世界に来てすぐのことだ。風早と千尋との三人で近所の祭りに参加したことがある。千尋はラムネ瓶の中に入っているビー玉の青色がすごく気に入ったらしく、風早に頼んで買ってもらっていた。もちろん那岐も買ってもらった。興味はなかったけれど、千尋の笑顔を見たくてほしい、と言ってしまったのだ。飲み終わった後、なかなか瓶からビー玉を取り出せないでいる千尋に、那岐は不器用だなと言いながらビー玉を取り出した覚えがある。

どうしてビー玉の青が気に入っているのかと尋ねると、

『この青色、真っ青な空の青に似てるでしょ? 雲ひとつない空はとっても綺麗。そが気に入ってるの。空の青さと同じビー玉。これを見ると、わたし、凄く元気をもらえるんだ』

 千尋は取り出したビー玉を空でも電球でもかざして、ビー玉の中を覗くのが好きだった。

 それは中学校に入るまで続いたような気がする。

(何、昔のこと思い出してんだろう)

 那岐は小瓶を持ったまま、ベッドの上にごろりと横になった。

 たぶん、ラムネ瓶のビー玉の青さに嫉妬してたのだろう。物に嫉妬するなんて、馬鹿馬鹿しいのも程があると那岐は自嘲する。千尋がビー玉を持って嬉しそうに語る姿を見たくないって心のどこかで思っていたのかもしれない。

僕は、空と青いビー玉には負けるかもしれない。それでも、僕は僕なりに彼女を喜ばせたいと思っている。千尋の思う気持ちは誰にも負けやしない。だから………。

那岐は大きく息を吸い込んだ。

風早は千尋と同じで、上手くラムネ瓶からビー玉を取り出せないだろう。後でこっそりと取り出そう。青色が好きな彼女のために。彼女がそれで笑ってくれるのなら。

 ビー玉をひとつ取り出して、目の前にかざしてみる。透けたビー玉の表面に青色の電球が現れた。ビー玉を通して見えた世界は、澄み渡った空と同じぐらい綺麗だった。




END







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