恋蕾






 

「馬鹿かお前は! 体調が悪いのに朝稽古をするなんて!」

九郎の怒声が、有川家のリビングに響き渡る。

ソファーに横たわっていた望美の肩がぴくりと震えた。

自分だってこんな風に倒れるなんて思いもしなかった。異世界では少々体調が悪くても、気合で怨霊と戦ったり、封印していたのだから。

(わたしの馬鹿……。落とした木刀を拾おうとしてそのまま立てなくなるなんて……)

我ながら情けない。

「ごめんなさい……」

望美は弱弱しい声で九郎に詫びた。

「だいたいお前はいつも無理をしすぎるんだ。自分の体力限界ぐらいいい加減覚えたらどうなんだ」

憤る九郎に、

「これ以上怒ったって仕方がないよ。望美ちゃんも十分に反省してるだろうしさ。九郎、ここまでにしてあげなよ」

宥めるように景時が言った。

「景時の言うとおりですよ。今、大切なことは望美さんを叱ることではなく、彼女の体調が一刻も早く良くなるように休息させてあげることではないでしょうか」

弁慶が九郎を押しのけ、望美が休んでいるソファーに近づいた。

「望美さん、このままここで少し休憩していきませんか?」

弁慶の言葉に、譲が、

「そうですね。あなた一人で家に帰らせるのも不安ですし。遠慮しないで休んでいってください」



有川家と春日家は歩いてものの数秒の距離だ。だが、先ほど倒れたことを思い出すと、望美は自分の家と有川家を隔てる道路でさえも長距離に感じた。有川家で少し休んで家に帰ったほうがいいかもしれない。それに、皆がいる。ひとりで寝ているよりも、隣の部屋に誰かがいるという安心感があったほうがいい。


「ありがとう、ふたりとも。譲くん……邪魔でなければ…………少し休んでいっていいかな?」

「もちろん! じゃあ、客間に布団を用意しますね」

客間に向かった譲を見送ると、

「じゃあ、僕は薬を持って行きますね」

弁慶は薬を取りに向かった。


「望美ちゃん、喉か湧いてない? もし、飲みたかったらあったらいつでも言ってね! 胃に悪いコーヒーは出せないけど、ホットミルクとかだったらすぐ用意するからさ〜」

「ありがとう……景時さん」

「まだ時間がかかるのかな。オレ、手伝ってくるよ。望美ちゃんは、ゆっくり休んでてね」

景時の言葉に望美は微笑むと、目を閉じた。

眠るのではない。譲が呼びにくるまで休むだけだ。

「まて、俺が行く」

景時を九郎が引き止めた。

「いいよ、九郎は望美ちゃんと一緒にいてあげて」

「お前のほうこそ、望美といたほうがいい。俺が行く」

「いやいや、ここはオレが……」

「ふたりとも、病人の前で言い争いは禁物ですよ」

静かな声が九郎と景時を諌めた。

薬を取りに行っていた弁慶が戻ってきたのだ。手にはお盆が握られていた。お盆にはコップと薬箱が載せられている。

「譲くんが敷き終わったようですよ。望美さん、行きましょうか」

「はい。…………あっ」

身体がふらつき、思うように起き上がれない。

望美は再び、ソファーに横になった。

「手を貸しましょうか?」

弁慶が持っていたお盆をテーブルに置こうとした。

「九郎、君が手伝ってあげたらどうかな?」

「俺がか?」

ぽかんと口を開けた九郎に、

「そうですね。僕はお盆を持ってますし。九郎、君に任せてもいいですか?」

「起こすのを手伝うぐらい別に構わないが……」

九郎は納得のいかないう顔をしていたが、やがて、

「ほら、手を貸すから。一緒に起きるぞ」

望美は差し出された手を握り、ソファーから起き上がった。

ふう、と溜息が漏れる。自分が思っていた以上に身体のほうは深刻だった。起き上がれないぐらい具合が悪いなんて。

(少し眠ればよくなるよね)

「歩けるか?」

 九郎から問われ、望美は大丈夫、と言った。足元はふらつくけど、九郎に支えられればなんとか歩けるだろう。

 足元が覚束ない望美を見て、

「俺も加勢するよ」

 景時が右側から支えてくれた。

ふたりの身体にもたれかかるようにして望美は客間へと歩き出した。

 




*****




 

「安静にしてくださいね。よく眠れるように調合しましたから、次起きたときはだいぶ身体が楽になっていると思いますよ」

薬を飲んだ後、弁慶が言った。

「ありがとうございます」

「じゃあ、僕たちはこれで失礼します」



譲、弁慶、九郎、景時が去った後、望美は目を閉じた。弁慶が言ったように疲れが溜まっていたのかもしれない。最近、ちょっと無理をしすぎたかなあっと反省する。夜遅くまで編み物をし、そして朝になると朝稽古に迷宮の怨霊退治。



(ダメだな。九郎さんの言うようにしっかり体調管理しないと)

今日から気をつけよう、心に強く誓う。

(そういえば、九郎さん。どうしてあんなに嫌がっていたんだろう)

リビングで九郎と景時が言い争っていたことを思い出す。

(わたしが体調管理できてなかったから怒ってて……。それでわたしを避けようとしたんだ。あぁ……わたしの顔を見たくないって思うほど九郎さんを怒らせてしまったんだな)

結論に辿り着き、望美はがっくりと項垂れた。

(どうしてわたしっていつも九郎さんとギクシャクしちゃうのかな。この間も、九郎さんの怪我を心配して彼を怒らせちゃったしさ)

自分と九郎の相性は悪いのだろうか。

(意地っ張りで短気そして鈍感。だけど、九郎さんのことは嫌いじゃない)

寧ろ好き、と望美は心の中で呟く。

望美たちの世界で戸惑う姿は普段の凛々しい武将の姿とはかけ離れていて、可愛いと思ったし、なんだか新鮮だった。

(だけど、怒らせてしまった)

 ふうと溜息をつく。

(あぁ、こうして一人悶々と悩んでも仕方がない。九郎さんにもう一度きちんと謝ろう。それで変わらなかったらまたそのときに考えよう)

目を閉じると望美はぎゅっと布団を握り締めた。

 






*****





 

「ん……んんっ。あれ、どうしてここにいるんだっけ?」



目を覚ました望美は、しばらく見慣れない部屋にぽうっとしていた。そして、布団の横に湯飲みが用意されているのに気づき、自分が有川家で休ませてもらっていたことを思い出した。



「目が覚めたか?」

湯飲みを取ろうとして、突然降ってきた声に望美は驚いた。人の気配なんて感じなかったから。恐る恐る声のしたほうを見ると、

「く、九郎さん!」

どうして彼がここにいるのだろう。自分を避けているのではないのか。

望美が唖然としていると、

「いつまでも豆鉄砲を食らった鳩のような顔をするんじゃない。それよりもお茶を飲んだらどうだ」

九郎に促されるまま、望美は湯飲みを取った。

「あたたかい……」

両手で包み込むようにして持った湯飲みに口をつけながら望美は感嘆した。

「もしかして九郎さんが持ってきてくれたんですか?」

「あぁ。水分補給は大切だ、と弁慶に言われてな」

「ありがとうございます。でも、どうして九郎さんが……」

「心配だったからだ」

 澱みなく九郎がきっぱりと言った。

「しかし、随分ぐっすりと眠っていたな。顔色もだいぶ良くなったぞ」

九郎の安堵した笑みに、望美はつられて微笑した。

「弁慶さんの薬が効いたみたいです。ほんと、身体が軽くなりました」

「そうか、よかったな」

 望美が茶を飲み終えると、

「望美……そ、その……」

 九郎が言いにくそうに口を開いた。

「お前に謝らないといけないことがあったな」

 謝らないといけないこと? 望美は九郎の言葉に思い当たるものがなく、首を傾げた。

「謝るとしたら、わたしのほうです!」

 そうだ、自分の方ではないか。

 望美は九郎が口を挟む隙を与えずに、一気に喋った。

「朝、稽古の途中で倒れちゃってごめんなさい。九郎さんの言うとおり、ちゃんと健康管理をしていればこんなことにはならなかったのに」

「そのことはもう気にしなくていい。俺にも非はあったんだ。兄弟子としてお前の体調も気遣ってやれなかった。完全な失態だ」

「そんな! わたしが悪いんです! 九郎さんが怒るのも当然です! だから――――嫌われても仕方ないんです」

「誰が嫌うって?」

 九郎の言葉に望美ははっとした。つい、口が滑ってしまった。

「な、なんでもありません!」

「なんでもないはずがないだろう? 俺はお前のことなど嫌いになってないぞ」

「九郎さん……」

「嫌いになる理由もない」

「でも……」

「嫌いになってほしいのか?」

「そんなことないです! でも、九郎さんはわたしのこと、嫌いになったんじゃないんですか? ほら、布団を織希に行く手伝いのことで景時さんと言い争っていて……」

「ん? そのことがどうした?」

「わたしから一刻も離れたかったから、布団を敷きに行きたいって言ったのかなあって思って」

「望美……」

 九郎は真剣な表情になると、

「それはお前の考えすぎだ」

「えっ?」

 思わず間抜けな声が出てしまう。

「あ、あれはだな……。思いっきり怒鳴ったあとだったから、気まずかったんだ。ほら、お前も怒られた相手とふたりっきりになりたくないだろう」

「そうだったんだ……」

「だが、誤解させてしまったようだな。すまない」

「気にしてません。寧ろ、嫌われてないとわかって安心しました」

 九郎はよかったな、と微笑した。

「九郎さんって不思議だな。喧嘩しても嫌いになれない」

 それどころか、どんどん惹かれてゆく。

「俺も同じだ。お前といくら喧嘩をしても嫌いになれない」

「気が合うってことかな?」

「そうかもしれんな」

 なにげなく、さらっと言った九郎の言葉に望美の心臓が踊りだす。

 心の中で何度も九郎の言葉を反芻した。

 望美は嬉しくなってひとり微笑んだ。

「何を喜んでるんだ、お前は」

 呆れたように九郎が言う。

「秘密です」

 望美は頬を緩ませた。



END







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