月姫
「どこにも行かないでください、望美」
膝を折ったまま惟盛は望美の袖に縋りついた。
望美は何も言わず、惟盛の頬に手をあてた。
頭を上げた惟盛の瞳には涙が浮かんでいた。
「お願いです、行かないで……」
懇願とともにほろほろと涙がこぼれ落ちる。
できることなら、わたしだって帰りたくない。
いや、正直に言えば行きたくない。
月の都なんて。
わたしの生まれ育った世界はここなんだよ。
望美は後ろに控えている月の使者たちを見やった。
彼女たちはさきほど突然、春日家の庭にやってきた。
望美を月の姫、だと言い、彼女を連れ戻そうとしている。
「姫様、早くしてください」
急かすように使者が言う。
わたしは惟盛が好き。
離れ離れになることなんて考えられない。
だから。
「せっかくだけどお断りします」
きっぱりと言い放った望美に、使者たちは目を丸くする。
「わたしの世界はここなの。ここには愛する人がたくさんいるし、大切な思い出もたくさん詰まってる。それを月の姫だから、という理由で簡単に捨てられるはずないでしょう?」
「ですが、あなたは月の国の姫君です。これは間違いありません。あなたは誤って下界に堕とされたのです。あなたを憎む貴族によって……」
使者の言葉を望美は遮った。
「そんなこと信じない。わたしは春日家で育ったのよ。父上に聞いてみるといいわ」
「地上人の言うことなんて当てになるものですか」
「とにかく! わたしはどこにも行きません! 行こう、惟盛」
望美は呆気に取られている惟盛の手を掴むと屋敷の奥へ走っていった。
連れ去られてたまるもんか。
きっと使者たちはわたしを月の姫と勘違いしているだけなのだ。
いくつもの几帳を押し倒し、屋敷の奥の塗籠を目指し走ってゆく。
「無駄な足掻きですよ、姫様」
突然。
眼前にぱあっとまばゆい光が差し込んだ。
いつの間に追いついたの? 気づきもしなかった。
望美の問いに答えるように、
「あなたがどこへ隠れようと、わたくしたちはあなたを探すことができます。ですから、大人しく月の世界へ行くと言いなさい」
「やっと惟盛と一緒にいられるようになったのに。 その幸せを奪うなんて……代償が大きすぎるわ」
「望美……」
惟盛が呟く。
そして何を思ったのか、剣を構えると、
「どうしても望美を連れてゆくというのなら、まず、私を倒しなさい」
「惟盛!」
振り返ると惟盛はやわらかく微笑んだ。
「あなたと離れることなんて考えられません。なんとしても勝ってみせます」
強い口調に望美は少しだけ肩の力を抜いた。
惟盛がいる。
こんなに力強い恋人がいるんだもの。
月の使者なんて追い返してやる!
望美を護るように前に出た惟盛に、
「どうやら、本当にやる気のようですね」
冷ややかに月の使者が言った。
「手荒な真似はしたくありませんが……これも姫様をつれ戻すため。石丸」
名を呼ばれ使者の傍に控えていた、小柄な少年が歩み出る。
「姫さま、あなたは地上人に騙されています。おいらが、姫さまを正気にしてみせます!」
少年は惟盛と向かい合わせになると、剣を構えた。
双方とも睨み合っている。
「望美、あなたを護ります」
「姫さまを必ず取り戻してみせる」
二人は同時に剣を振り下ろした。
―END―
ヴィドールを聴いていたら「望美に縋りつく惟盛」が浮かんできので、それを基に書きました。
かぐや姫をモチーフにしています。
え、どこが? なんて突っ込まないで。
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