合言葉は
君よりも早く










「すごい南瓜の数!」

 千尋は堅庭の石畳に山積みにされた南瓜を見て目を丸くした。

 ざっと数えても二十個はありそうだ。

「こんなに沢山どうしたの?」

「私が調達してまいりました」

 道臣の言葉に千尋はますます目を大きくする。

 南瓜を一つ手に取りながら風早が、

「ありがとう、道臣。これだけ運ぶのは重かっただろう?」

「いいえ、そんなことはありませんよ。私一人で運んだわけではありませんから」

「わたしからもお礼を言わせて。ありがとう、道臣」

 千尋は秋桜の花が可憐に咲くように微笑った。

「本当にすごい! なあ、風早、どうやってかぼちゃのらんたん、は作るんだ?」

 さっそく一つの南瓜に手を伸ばした足往に、風早は目を細めた。

「そろそろ作りますか?」

「そうね、作ろう」

 同意した千尋たちに風早は説明を始めた。

「まずは、南瓜に顔を描きましょうか」

「顔?」

 首を傾げた足往と道臣に風早は説明した。


「まず初めに鉛筆で南瓜に下書きをします。あ、でもこの世界では鉛筆はないから、筆になるね。目と鼻は三角で、口はきざきざに描く……」


 風早はそういいながら、用意していた筆で南瓜に顔を描いた。

「なんだか不気味な顔だ」

 風早の手元を覗きこんでいた足往が呟く。



「けちんぼジャックと呼ばれた、意地悪男の顔だからね。この男は悪魔を騙したために地獄に堕ちることもできず、死んだ後も明かりを燈しながら暗い道を歩き続けたんだよ」



「へー。けちんぼジャックか。なら、思いっきり、意地悪に描かないといけないな!」

「では私たちも描きましょうか」

 道臣が手ごろな大きさの南瓜を手に取った。


 南瓜は大小とあり、大きなものは堅庭や部屋の前に置く、小さなものはそれぞれの自室に置くといいだろう。


 千尋は両手のひらよりも少し大きめの南瓜に描くことにした。

 筆で南瓜に描くのは意外と難しい。

 手元がぐらぐらして上手く三角形が描けない。

 それは足往も同じようだ。

 真剣な表情で南瓜とにらめっこしている。

「足の間に固定して描いてみてはいかがです?」

「あ、それいいかも!」

「そうね、道臣の言うとおりだわ」

 千尋は座りなおすと、足の間でしっかりと南瓜を固定した。

 これならゆっくりと筆先に集中して描ける。

 南瓜の皮に描いた墨が乾いたところで風早が、

「次は、種を取りましょうか。この部分から切り取ります」

 風早は南瓜のヘタから数センチ下の部分を指差した。

 ここは蝋燭を入れる場所となるのだ。

「南瓜は硬いので手を滑らせないように」

 風早は刃物で器用に南瓜のヘタの部分を切り取った。

 切り取った部分から、水気を含んだ綿のような種が見える。

「この種をすべてかき出します」

 風早はそう言いながら、匙で種を取り出し始めた。

 千尋たちも南瓜のヘタの部分を切ることにした。

「千尋、危ないようでしたら俺が代わりましょうか?」

 上手く刃物が扱えず、今にも手を切りそうな千尋を見て風早が心配そうに言った。

「大丈夫だよ」

 これから目や鼻や口をくりぬく作業があるのだ。

 気持ちは嬉しいが、いちいち風早に頼ってなんかいられない。

 なんとか堅い皮を切り終えると、

「心配は無用でしたね。だけど油断は禁物です。指を切らないように気をつけて」

 ほっとした表情で風早が言った。

 千尋はへたの部分を切り、種をかき出す作業に専念した。

「できたっ! 全部とりだしたぞ!」

 先に種を取り出した足往が嬉しそうに叫んだ。

「どれどれ。うん、綺麗に取り出せているね」

「だろう〜?」

 足往は風早に褒められさらに頬を緩ませる。


「さて、顔をくりぬきましょうか。さっき筆で描いた線にそって刃物を当ててください。綺麗にくりぬいたら完成です!」


 千尋は慎重に刃物を線に当てた。

 こういう作業をしていると、図画工作の時間に、画板に彫刻をしたことを思い出す。

 あのときも線からはみ出さないように気をつけたものだ。

「できましたか?」

 風早の言葉に、千尋は慌てて手を動かす。

 口の部分は難しくて、綺麗にぎざぎざがくりぬけない。


 歯の三角の部分が少し欠けたり、描いた線よりも小さくくりぬいてしまったり、そのたびに焦っていたのだ。


 どうしよう、と悩むため、当然作業は遅くなり……。

(早くくりぬかなきゃ)

 千尋は最後に残っている下書きの部分に刃物を当てた。

 それを勢いよく引いたのはよいが、

「――――――っ!」

 千尋は思わず刃物を手から離した。

 指先に切れたときの鋭い痛みが走る。

 白い皮膚がみるみるうちに朱に染まってゆく。

「いったぁ……」

 千尋が痛みに顔を歪めていると、

「大丈夫ですか、千尋」

 風早が駆け寄ってきた。

「うん、これくらい大丈夫だよ」

 千尋はそう言いながら、傍にあった布を手に取った。

「いけません、千尋! 汚い布で拭いては、傷口に菌が入って大変なことになります!」

 千尋の手から布を取り上げる風早の顔は、蒼白だ。

 風早の行動に驚きつつもよくよく彼が手に持っている布を見れば、

(南瓜の汁で汚れてる……風早の言うとおり拭かなくてよかったわ)

「早く、水で洗わなければ……」

「透夜に傷に効く薬をもらってはいかがでしょう」

「そうだね、道臣。透夜に薬をもらおうか」

 千尋の言葉に風早は我に返ったように、慌てて懐に手を突っ込むと、

「ありました! 傷に効く薬。今日は刃物を扱うから万が一を想定して入れておいたんです」

「ありがとう、風早。じゃあさっそく……」

 風早から薬を受け取ろうとして千尋は手を止めた。

 そうだ、まだ止血してなかったのだ。

 たらたらと流れる血を止めるように千尋は親指の根元をぎゅっと握った。

「千尋、清水で流しましょうか」

「うん、確か厨房に綺麗な水を入れた甕(かめ)があったよね」

「足往、道臣。俺たちは少しここを離れますね」

「わかりました。私たちはこのまま作業を進めましょう。よろしいですか、足往」

 足往は了解したというように頷いた。

 千尋は足往と道臣に向き直ると、

「ふたりとも、南瓜のランタン作り、お願いね」

「行きましょうか」と風早が言い、千尋は彼と共に堅庭を後にした。

 千尋たちは廻廊を歩いていた。

(さすがにそろそろ何かで拭わないと。止血している手が痺れて来たわ……)

 千尋は親指から手を放すと、止血していた方の手首を振った。

 それに気づいた風早が、

「俺が止血しましょうか」

 風早は綺麗な布を持っていただろうか。

 もしそうであれば、もっと早く出してくれてもよかったはずだ。

 千尋は自分の親指をそっと握る風早を見つめていた。

「綺麗な布、もってるの?」

 恐る恐る千尋が尋ねると、

「いいえ」

 と短い言葉が返ってきた。

 どうやって止めるのだろう。

 千尋が考えていると、その刹那、風早の顔が指に近くなった。

(な、何?)

 怪我をした指をふいにあたたかいものが包み込む。

 そのまま止血をするように傷口にあたたかけれどざらつく何かが触れる。

(嘘…………もしかして舐めて血を止めようとしてくれてるの?)

 風早の行動の意がわかった瞬間、千尋はかあっと身体が熱くなるのを感じた。

 嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちだ。

 風早が止血する時間が永遠に感じた。

「終わりました」

 風早がようやく千尋の手を解放してくれた。

「これで一時的ですが、止血できたでしょう。ん? どうしました、千尋」

 風早が心配そうに千尋の顔を覗き込む。

 千尋は数秒前に起こったことを何度も頭の中で反芻し、ひとり赤くなった。

 傷口がじんじんと疼き出す。

 切れたのとは別の痛み――――。

「もしかして、嫌でしたか?」

「そんなことないわ!」

 千尋は大きく首を横に振った。

「嬉しかったの。風早がこんな風にわたしのことを心配してくれたことが」

 大切な人が自分を心配してくれる喜び。

 風早の気持ちが冬の太陽みたいにあたたかい。

「千尋……」

 風早が照れたように、頬をかいた。

 千尋はそんな風早ににっこりと微笑んだ。

「さ、風早。手当てしに行こう。そして、また、ランタン作りに戻ろうね」

「えぇ、もちろんです」

 ハロウィン当日の夕方。

「千尋、これを着てください」

 と部屋に迎えに来た風早に衣装を手渡された。

 千尋が広げると、それは黒いワンピースだった。

 胸元に編み上げと後ろの方が長い段差のついたスカート。

 袖がなく紐となっているので、寒さを凌ぐための襟元で結べるリボンのついた黒い肩掛けがついていた。

 三角帽子もある。

「風早……これって……」

「えぇ、ハロウィンの仮想用衣装ですよ。千尋が着たら似合うだろうと思って持って着ました」

「こんな服、この世界にはないよね? どうやって手に入れたの?」

「それは……企業秘密です」

 爽やかに微笑すると、風早は言った。

「着てくれませんか?」

 大好きな魔女の衣装を千尋が嫌というはずがない。

 大きく首を縦に振り、千尋は、

「もちろん! ありがとう、風早。じゃあ、さっそく、着替えてくるね」

 仮装をして部屋を出てきた千尋に、風早は目を細めた。

「可愛いですね、千尋。うん、よく似合ってっている」

 満足そうに風早が頷き、千尋は頬を朱に染めた。

「そ、そうかな?」

「えぇ、よく似合っていると思いますよ。サイズもぴったりのようですし」

「うん、ちょうどよかったからびっくりしたよ。風早、わたしの服のサイズ知ってたんだね」


「前に教えてもらったことがありますから。ほら、向こうの世界で高校入学のとき、制服を選んだでしょう? そのときのことを覚えてたんですよ」


 あぁ、なるほどと千尋は頷く。

「風早も仮装をすればよかったのに」

 風早は自分の衣装を見回すと、

「この格好自体、もう仮装しているようなものです。だから今年は遠慮したんですよ」

「そうなんだ……」

「千尋は嫌でしたか?」

「恋人同士になったんだから、風早にも仮装してほしかったわ」

「じゃあ、来年、こそは千尋の好きな仮装をしましょう」

「バンパイアとかどうかな。でも風早は血を求めるって柄じゃないな」

 千尋の言葉に風早は苦笑いする。

「千尋、それはまだ俺のことを知らないから言えるんですよ」

「俺のこと?」

 小首を傾げた千尋に、風早は話題を逸らすように千尋の机の上に置いてある南瓜を指差した。

「火をつける道具を持ってきたんです。ランタンにつけましょう」

 風早は南瓜のランタンに火を燈した。

 ぼうっとランタンが全体的に明るくなり、くりぬいた部分から橙の光りが零れ落ちる。

「このランタン、那岐に、百万体出ても怖くない、って言われたの」

 千尋の言葉に風早がランタンを見つめた。

 ランタンは歯が少し欠けたりと目の大きさが不揃いになっている。

「怖いというよりは、可愛いいや寧ろ面白い顔になっているのかもしれないですね」

 風早は微笑した。

「やっぱりそうなのかなあ。できる限り恐ろしく描いたつもりだったのに」

 千尋は少し不満げに頬を膨らませた。

「あ、そうだ。風早、あなたにあげたいものがあるの。ちょっと目を閉じてて」

 千尋の言葉に風早は素直に従う。

 千尋はあるものを用意した。

 道臣に頼んで調達してもらった眼鏡だ。

 千尋は風早の顔にそれを持ってゆく。

 彼がこの眼鏡をかけた後のことを思うと、おかしくてたまらなかった。  

 黒縁の丸いレンズ、大きな鼻の下には筆のような鼻髭がついている。

 俗にいう鼻眼鏡だ。

「千尋、もういいですか?」

 風早はゆっくりと目を開けた。

 目元をそして鼻の部分を触り、風早は不思議そうに首を傾げた。

「鼻に何かついている……」

 縁の部分に風早の手が移動する。

「眼鏡、ですよね。でもただの眼鏡とは違う……」 

 千尋は何も言わず、風早を見守っていた。

 こみ上げてくる笑いを必死で我慢する。

 笑ったら鼻眼鏡の風早が見られなくなる。

 風早は再び鼻を触り、指先で確認するように髭を引っ張った。

「大きな鼻……そして髭……もしかして……は、鼻眼鏡!?」

 風早が驚いたように目を丸くした。

 大きくなった瞳と同じく大きな鼻。

 その姿がおかしくて千尋はついに噴出してしまった。

「ふふっ、あははははっ!」

 風早は眼鏡を外し、それを見た。

「ほ、本当に鼻眼鏡っ!」

 風早は恥ずかしさと驚きが入り混じったような声を出した。

「ごめんね、でもずっと見てみたかったの。風早の鼻眼鏡」

 口元に手を当てくすくす笑う千尋に、
 
「まったく、ハロウィンの合言葉も唱えずに悪戯とは……」

 風早は大きく息を吸うと、

「俺もお返ししなければいけませんね」

 そう言いながら風早は鼻眼鏡を持ち直した。

 今度はこれを自分につけられるだろうか。

 それならば受けてたとう。

 互いの変顔を楽しむのもありじゃないか。

 が。

「千尋、トリック・オア・トリート!」

「えっ?」

 いきなり風早から予想外のことを言われ、千尋は焦った。

 お菓子なんか今持ってない。

 鼻眼鏡をつけるんじゃないのか?

「この言葉を聞いたらお菓子をくれるのが慣わしでしょう?」

 意地悪く風早が言い、身の危険を感じた千尋は、彼から逃れようと一歩後ろに下がった。

 が、かつんと踵が硬いものに触れる。

 あぁ、後ろに壁があったのを忘れていた。

「そんな、風早、卑怯よ〜」

 千尋は叫んだ。

 だが、それに構わず、風早は千尋を抱き寄せる。

「それを言うなら千尋の方でしょう?」

 風早は千尋の額に口づけを落とした。

 楽しそうに風早が微笑する。

「さあどんな悪戯をしましょうか」

 その言葉が鼓膜に届くと同時だった。

 言葉とは裏腹にやさしいキスが、鼻先、頬、耳朶と千尋の顔中に雨のように降ってきた。









 
―END―











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