観月



「千尋……今いいだろうか」

 振り返ると、カリガネが立っていた。

 手に小さな籠を持っている。

 何か作ったのだろうか。

 お菓子だったらいいな、千尋はそう考えくすりと笑った。

 手元に千尋の視線を感じたのか、カリガネは籠を見やると、

「新作だ。君に……

 そう言うと、カリガネは籠を千尋に差し出した。

「ありがとう。カリガネは料理もお菓子も上手いからいつも楽しみにしてるの」

 千尋は大切なものを扱うようにそっと籠を受け取った。

 カリガネが作ってくれたもの。

 いったい、何が入ってるのだろうか。

 はやる心を抑えつつ、千尋は籠の上にかかっていた布をとる。

 そこには一口サイズの饅頭のようなものが並んでいた。

 淡い卵色の生地の上に紅玉のような赤い木の実が載っている。

「すごくおいしそう。形も色も可愛いし、食べるのがもったいないわ」

「遠慮せず好きなだけ食べていい。足りなければ、作り足そう」

 カリガネの言葉に千尋は顔を朱に染めた。

 赤くなったことを知られたくなくて、千尋は籠を見るふりをして俯いた。

(もしかして食い意地が張ってるって思われたかな。これじゃサザキと変わりないじゃない)

 夜中にこっそりと食べたいのでいつも余計にもらっている、とサザキが話しているのを思い出した。

 カリガネがどう思っているのか気になる。

 ちらりと様子を窺うと、カリガネはさきほどと変わらない静かな表情をしていた。

 視線が合い、千尋は慌てて目を反らす。

「どうした」

 不思議そうにカリガネが訊いてくる。

「えっと……本当においしそうだなあって思ったの。み、見るだけじゃなくて、食べるね。いただきます」

 千尋は饅頭を一つ口に手に取った。

 かぷり。

 千尋は中身を確認するかのように、半分だけ口にした。

 しっとりとした生地は少しだけ塩の味がする。

 ほのかな甘さが口内に広がる。

……餡が入ってるみたい)

 千尋は手に持っている半分を見た。

 淡い卵色の生地と二層になるかのように白い餡が入っていた。

(とっても美味しい。でもこの赤い実は……

 千尋の顔が翳ったのが伝わったのか、カリガネが、

「赤いのはグミの実だ。食べごろなので使ってみたが……やはり渋すぎたようだな」

「ち、違うわ」

「いや、気を使わなくていい。昼間、足往に渡したときも同じような表情をされた」

「前にサザキにもらったことがあるから、この味は知っていたの。だけど……久しぶりに食べたからびっくりしただけよ」

 千尋は「大丈夫」と言う意味を込め微笑んだ。

「そうか。ならば……グミの実を載せたのと載せてないものを作ったらいいかもしれないな」

 カリガネは考えるように呟いた。

「改良するの?」

「あぁ。まだ月が出るまでに時間ある。今から作れば間に合うだろう」

 カリガネの言葉に千尋は記憶の糸を引っ張る。

 何か祭りでもあっただろうか。

 わからない。

「何かあるの?」

「月観だ。君の世界では中秋の名月を愛でる行事があるのだろう? 風早から月見団子を食べると聞いたのだが……

 あぁ、それでなのか。

 千尋は納得したように頷いた。

「サザキが団子は嫌だ、と言ったので饅頭になった。望月を想像して作ったのだが、どうだろうか」

「ちゃんと月に見えるわ。夜空に浮かぶ満月と取替えっこしたいぐらいよ」

 カリガネは安心したように組んでいた手を解くと、

「今日は観月の宴をする。もちろん君も行くだろう?」

「観月の宴?」

 千尋は小首を傾げる。

「あぁ。風早の提案だ。この天鳥船を泊めている草原で開くつもりだ」

 (そういえば、風早がそんな話をしていたっけ)

千尋は数日前に風早が話していたことをなんとなく思い出した。

 風早は本当に行事好きだ。

 元の世界にいたとき、七夕、お月見、ハロウィン、クリスマス……年中行事は欠かさずにやっていた気がする。

 那岐曰く、すべて千尋のため、だったらしい。

 けれどそれは違うのでは、と千尋は思っている。

 行事の準備をする風早はいつもより生き生きとしているし、誰よりも自分が楽しんでいるような気がしたからだ。

「わかったわ。何か手伝うことはある?」

 千尋の問いにカリガネは、

「下準備もあらかた済んでいる。厨房のものと作るので人では足りている」

「楽しみにしてるね」

 千尋は朝陽に照らされ花が開くように微笑んだ。

カリガネはそんな千尋の耳元に口を近づけると、

「料理以外にも楽しみにしてほしいことがある」

 いつもよりまして低い声に千尋はぞくっとする。

「カ、カリガネ!?」

「私は厨房に入る。また、宴のときに」

 意を含んだ微笑し、去ったカリガネの背中を見ながら、

(楽しみにしてほしいことって何だろう……?)

 もしかして……と甘い考えが頭を過ぎる。

(ま、あんまり気にしないでいよう。想像しすぎてカリガネト目をあわせられなくなったら困るもの)

 とはいえ―――千尋は頬が緩むのを止められなかった。





*****





 辺りが漆黒の闇に包まれた頃、宴は始められた。

 キャンプファイヤーのように中央に焚き火、皆でその周りを取り囲んだ。

 カリガネの作った豪勢な料理が次々と運ばれてくる。

(カリガネ……かなり頑張ったんだろうなあ)

 木の実が入ったスープ、炒めご飯、串に差した野菜と肉、そして焼き魚……

 運ばれてくる料理を見ながら千尋は思った。

「こりゃあ、凄いぜ!さっすがはカリガネ! 宴になるといっそう腕に磨きがかかるな!」

 隣に座っているサザキが嬉しそうに呟く。

 千尋はそれを見て微笑した。

「姫さん。向こうの料理を取りいくついでに、あんたの分もとってこようか? 遠慮しなくていいぜ」

 サザキの申し出に千尋は皿を差し出し、

「じゃあ、お言葉に甘えてお願いね」

「なら、僕の分も頼む」

 千尋の差し出した皿の上に、那岐が自分の皿をさりげなく重ねる。

「ダメだダメ。男はお断りだ」

 サザキは不機嫌そうに皿を那岐に押し返した。

「私はお願いしてえぇ?」

「あぁ、女性は大歓迎だぜ」

 夕霧から皿を受け取ったサザキに那岐は舌打ちした。

「ったく、少しはサービス精神を持ってもいいんじゃないか?」

「わたしが頼もうか?」

「いや、自分で行く。それに向こうにきのこ料理があるかどうか確認したいからね」

 那岐の言葉に千尋は目の前に置かれた料理を見た。

「そうね。ここには那岐の好きなきのこ料理はないもの」

 サザキと那岐が料理を取りに行った後、千尋は空を仰いだ。

 漆黒の夜空に卵色の満月が輝いている。

 雲ひとつない晴れ渡った綺麗な空だ。

(こうして月を観ながら皆で食べるのもおいしいわ)

「取ってきたぜ!」

 両手のひらに皿を持ったサザキが那岐と共に戻ってきた。

 山のように皿に盛られた料理を見て千尋は絶句する。

「わたし……そんなに食べきれない」

「だから、言っただろう? そんなに盛るなって。だいたい、肉料理ばっかり取りすぎなんだよ」

 呆れたように那岐が額に手を当てた。

「わかったよ。姫さん、多い分はオレが責任を持って食べるからな」

 サザキは別の皿を用意し、それに千尋が食べそうな分量をつぎ分けた。

 仲間たちと話しながらおいしい料理を食べる。

 見上げれば鏡のように澄んだ望月が浮かんでいる。

 贅沢すぎる。

「風早、晴れてよかったな」

 足往が嬉しそうに尻尾を揺らしながら隣に座っている風早に話しかけている。

「えぇ。ここ数日は天気が崩れていたし、今日の朝も少し降っていましたからね。本当に晴れてよかったです」

(そういえばカリガネはどこにいるのかな)

 千尋は辺りを見回した

 カリガネの姿は、ない。

 もしかして、まだ厨房で料理をしているのだろうか。

 千尋は急にカリガネに逢いたくなった。

 隣の席のサザキに声をかけようと思ったが、部下たちと話に花を咲かせていたので、左隣に座っていた那岐に、

「ちょっと離れるね」

 千尋は宴会場を後にし、天鳥船の厨房に向かったのだった。





*****





……どこに行ったんだろう、カリガネ」

 千尋は途方にくれ俯いた。

 厨房にカリガネはいなかった。

 中にいた采女たちは宴会場に言ったのでは? と言っていた。 

 宴会場に戻ったものの、カリガネらしき姿は見えなかった。

(自室に戻ったとか? それとも食材を取りに行ったとか?)

 さまざまな考えを巡らしたところで、カリガネが現れるわけではない。

(とりあえず、もう一度宴会場に行こう)

 千尋が天鳥船の出口に戻りかけたとき、はらりと何かが目の前に舞い落ちてきた。

 自然に手がそれを取ろうと伸びる。

 下に下にふわふわと落ちるそれを何度か落としそうになりながら掴まえた。

(濃藍の羽?)

 千尋は手に取った羽をしげしげと眺めた。

 見覚えのある羽だ。

 もしかして―――

 千尋は期待を胸に抱きつつ天井を仰いだ。

「カリガネ!」

 そこには土色の壁を背にしたカリガネが浮かんでいた。

 千尋に気づくと、カリガネは数度翼を羽ばたかせ降りてきた。

「ずっと、あなたを探してたのよ? 昼間あなた言ったこと、楽しみにしてたのに」

 やっと逢えた喜びとやきもちしていた感情が入り混じり、千尋はつい咎めるように言ってしまった。

「すまない」

 カリガネが静かに詫びる。

「少し料理に手間をかけすぎた」

「そう……なの」

「待たせてしまってすまない。だが……

 もったいぶった言い方をし言葉を区切ったカリガネに、千尋は小首を傾げる。

「君が私の言葉を楽しみにしていたこと、嬉しく思う」

 話しながらカリガネの顔が近くなっているように感じた。

 琥珀玉のような瞳で見つめられ、どきりと胸が高鳴る。

「カ、カリガネ!?」

 ふわりとやわらかな感触が唇に触れる。

「あ……

 カリガネに口づけされたことに気づき、千尋は頬を朱に染める。

 甘く痺れるような口づけに身体の心から蕩けてしまいそうだった。

 千尋が言葉に詰まっていると、

「行こう。見せたいものがある」

 カリガネは千尋の手を握ると歩き始めた。





*****





カリガネに連れられて来た場所は楼台だった。

 いつもは兵たちで賑わっているのに、今日は誰もいなかった。

 皆、宴に行ったのだろう。

 千尋がカリガネをそっと見ると、

「千尋、飛んでみないか?」

「でも大丈夫なの? 翼の傷は……

「短時間なら君を抱えて飛ぶことはできる。それに……君に見せたいんだ」

「わかったわ。お願いね、カリガネ」

 あぁ、とカリガネは頷くと、翼を広げた。

 そして、千尋を抱きかかえると、地を蹴るように飛び立った。

 千尋はカリガネの背に回す手に力を込めた。

「怖いのか」

 心配そうにカリガネが聞いてくる。

「違う。あなたをもっと近くに感じたかったの」

 千尋はカリガネの胸に頬を寄せた。

 彼の体温が布越しに伝わってきて、千尋を安心させた。

 羽ばたくたび、冷たい夜風が髪を揺らす。

 ふいにカリガネが停止しした。

「見てほしい」

 カリガネの言葉に千尋は空を仰いだ。

 そこには少し距離が縮まった月がやわらかく夜空を照らしていた。

「綺麗な……月」

 思わず感嘆する。

 地上で観る月とはまた違った風情がある。

「気に入ってくれたか?」

「楽しみにしてろって、もしかしてこのことだったの?」

「そうだ、千尋。私と同じ目線で月を観てほしかった」

「あなたと同じ目線って……

「私と一緒に飛んでほしかった、ということだ。そして……少し手を放すから、しっかりと掴まっていてほしい」

 千尋を落とさないようにカリガネが背を地に向けた。

 カリガネは片手を服の中に入れる。


 カリガネは服の中から包みを取り出した。

 白い布を外すと、黄色い饅頭が現われた。

「月観には供え物がいるだろう?」

「へっ?」

 カリガネは饅頭を咥えると、そのまま千尋の唇に顔を近づけた。

 千尋は口を開き、わけがわからないまま饅頭を受け止める。

 昼間よりも甘い餡子と皮の香りがふわりと口内に広がる。

 唇を触れ合わせたまま、二人は饅頭を味わった。

「カリガネ! わざわざ空中でこんなことしなくても!」

 再び背中にカリガネの手のひらを感じ、千尋は安堵したが一言言わずにはいられなかった。

「私は、千尋とこうして食べたかった」

 真顔でそう言われ、千尋は恥ずかしさと呆れのあまり、力が抜けそうになった。

 よろけた千尋を受け止めたカリガネが、

「しっかりしろ、落ちたら命はない」

 誰のせいでこうなってるのよ! 千尋は心の中で突っ込む。

 カリガネは垂直になり体勢を整える。

 そして、千尋を抱きかかえ直した。

「千尋……

 囁くように名前を呼ばれる。

「君は大切な人だ」

 砂糖のように甘い声を千尋は味わうように瞳を閉じた。

 寡黙で冷たい感じがするけれど、誰よりも自分のことを想ってくれている人。

 たまに驚くようなこともするけれど、それはそれでやさしさを感じる。

 心を落ち着かせ、千尋はゆっくりと想いを舌の上にのせる。

「カリガネ……あなたのことが好き」

 千尋はぎゅっとカリガネに抱きついた。

「私もだ」

 カリガネはそっと千尋の頬に口づけを落とした。

「素敵な一日をありがとう」

 千尋はそう言うと、カリガネに自分の唇を重ねた。

 卵色の月が夜空の二人を照らしだしている。

 さらさらと零れ落ちる月光。


 千尋はこの時間が永遠に続いてほしい、とそう願った。





*****





「カリガネ。この饅頭、昼間よりおいしかったわ」

 空中飛行から戻った二人は堅庭の宴に参加していた。

 千尋はカリガネが改良したという昼間の饅頭を食べていた。

「姫さま、本当? おいらが食べたときはものすごくえぐかったぞ」

 隣で聞いていた足往が興味津々に千尋の手元覗き込んできた。

「足往、少し改良した。これにはえぐみは入ってない」

 カリガネが足往に饅頭の入った皿を差し出す。


 そこにはグミの実の変わりに、茶色の木の実が載せられていた。

 足往はえぐみを確かめるかのようにふんふんとにおいを嗅いだ。

「問題ないみたいだ」

 呟くと、足往はぱくりと饅頭を食べた。

「うん、うまい!」

 足往が嬉しそうに目を細めた。


「オレも一つ頂いていいだろうか」

「もちろん。とってもおいしいわよ」

 千尋は透夜に饅頭が入った皿を渡した。

「美味いな」

 饅頭を食べ、感嘆するように呟いた透夜。

「よかったね、カリガネ。お菓子、皆気に入ってくれたみたい」

 千尋はカリガネに笑みを投げかける。

「あぁ」

 カリガネは少し照れたように頬をかいた。







 END