君に捧げるは
紅葉時雨
 







「戻ってきたぜ」

 かがんで紅葉を拾っていたカリガネはその声に顔を上げる。

 ずっしりと膨らんだ袋を両手に抱えたサザキが立っていた。

「助かる。そこに置いててくれ」

「わかった」

 袋を草の上に置くとサザキはぐるりと辺りを見回した。

「しっかし、よく集めたな。こんなに沢山の紅葉、今まで拾ったやつってオレたちしかいないんじゃねぇの?」

「そうかもな」

 カリガネは集めた紅葉を袋に入れながら頷いた。

「真っ赤な花嵐だ。藍玉の空に真っ赤な紅葉。きっと姫さん目が落っこちるほど瞳を見開いて驚くぜ」

「あぁ」

「なんだよ、カリガネ。相変わらずそっけないなあ。お前が提案したことだろう? もっと楽しくしろよ」

「これは性分だ」

 手を動かしながらカリガネは答える。

 もうこのあたりの地の紅葉は拾い尽くしてしまった。

「そんなこと言ってると姫さんに嫌われるぜ」

「もう、嫌われているかもしれない」

 淡々と言ったカリガネにサザキは驚愕したように、

「おいおいおい、冗談だろう? 告白する前からふられること考えるなんて」

「お前が言ったから答えたまでだ」

 カリガネは袋を縛ると立ち上がった。

 ぱんぱんと膝についた砂を払い落とす。

「サザキ。もうこのぐらいでいいだろう」

「んじゃ、行くか? ふふっ、楽しみだなあ。姫さんどんな顔するだろう。上手く伝わるといいな!」

 笑顔で言った相棒にカリガネは少しだけ頬を緩めた。

 この相棒はどんなにそっけない態度を取ったとしても、自分を見放さずにいてくれる。

 幼い頃からずっと――――。

「あぁ、行こう。サザキ」

 二人は確認するように頷き合うと、紅葉の入った袋を抱え飛び立った。

 目指すは愛しい姫のいる天鳥船だ。

 

 

*****

 

 

「あら、千尋ちゃん。嬉しそうやねー。なんかいいことでもあったん?」

 夕霧から尋ねられ、千尋は自分の頬が緩んでいたことに気づく。

「うん。ちょっとね」

 照れ笑いを浮かべると、

「若いってえぇなあ。誰から誘われたん?」

「ふふっ。秘密」

「うちに話しても減るもんやないで? ま、無理はいわへんけど」

「じゃあ、少しだけね」

 千尋は辺りを見回すと、内緒話をするように夕霧の耳に口を近づけた。

「実はー――カリガネに誘われたの」

「カリガネはんに!?」

「うん。話があるって。今から堅庭に行こうと思うの」

「へー。それは千尋ちゃんが喜ぶちゅーのもわかる気がする。千尋ちゃん、カリガネはんのこと気に入ってるもんなあ」

「もう、夕霧ったら!」

 千尋は少しだけ眉根を上げた。

「だって、ほんまのことやろ? もしかしてカリガネはんも千尋ちゃんのことガ好きやったりして」

 押し黙った千尋に夕霧が愉しそうに笑う。

「からかうのはよして。カリガネはそういう意味で誘ったんじゃないと思うわ」

「そういうもんなん? 男が女を誘うって結うたらわけありやと思うけど」

「期待させるようなこと言わないでよ」

「うちは期待してもえぇと思うで」

「違ってたら怖いじゃない」

「違うって、本人に聞いてみいへんとわからんやろ? 純情やなあ、千尋ちゃんは。ま、そこが千尋ちゃんの魅力なんやけど。案外、こんなところにカリガネはん、惚れてたりして」

「ゆ、夕霧っ」

 見る見るうちに耳元まで赤く染めた千尋に、

「ふふっ、可愛えぇなあ。千尋ちゃんは……」

「そ、そろそろ行くね!」

 千尋は夕霧の言葉を遮った。

 夕霧が自分のことを心配してくれたのは嬉しい。

けれど―――これ以上夕霧にからかわれたくなかった。

 堅庭に向かって歩きながら千尋は考える。

 カリガネの用事とは何なのだろう。

 新作のお菓子の試食かなあ。

 それともこれからの中つ国についての話だろうか。

 もしかしたら―――。

『お前が好きだ、千尋』

 なんて告白かもしれない。

 想像して千尋は思わずひとり紅くなった。

 夕霧の前では期待しない、と言っていたけど。

カリガネが自分に好意を寄せていると期待せずにはいられない。

「姫さま! 見て!」

 突然名を呼ばれ、千尋は辺りを見回した。

 石畳、緑の芝生……いつの間にか堅庭に来ていたようだ。

 呼んだのは足往で、空を指差している。

「どうしたの、足往」

「紅葉が降ってる!」

 足往に近づきながら千尋は彼の指した斜め上の空を見た。

 藍玉色の空に波飛沫のような雲が浮かんでいる。

 そしてさらにその上を見ると―――。

 紅・山吹・茶…彩(いろ)とりどりの紅葉が風に乗り、宙を舞っていた。

「綺麗………」

 千尋はくるくると舞う紅葉を見つめた。

 まだ黄昏時でもないのに、一足早く天鳥船だけに夕暮れが来たようだ。

 落ちた紅葉は石畳を赤く染める。

 千尋は落ちてきた葉っぱを一つ手のひらで受け取った。

 生まれたての赤ん坊の手の大きさほどの楓だった。

(ふふっ、なんだか紅葉狩りみたい)

「すごいなあ。姫さま。おいらこんなの初めてみたよ」

 足往の尻尾がぴょこぴょこと動いている。

 きっと楽しいのだろう。

「そうね、足往」

 千尋はそんな足往に微笑んだ。

「あっ! 姫さまの髪の上に紅葉が落ちてる」

 足往の言葉に驚いて頭を触ると、確かに葉っぱの感触がした。

 千尋が取ろうとすると、

「姫さま、そのままでもいいと思う。紅葉のかんざしみたいだからさ!」

 屈託なく笑う足往に、

「そうね。だったら整えなきゃ。足往、これでいいかしら」

「もう少し斜めにしたほうがいいと思うぞ。違う違う。そうじゃないって」

「足往、願いしてもいい?」

 任してというように元気よく頷いた足往。

 千尋は膝を石畳の上につけた。

「よし、これで大丈夫だ!」

「ありがとう。足往」

「姫さま、本当に姫様みたいに見えるぞ。金色の髪に赤い紅葉が映えて綺麗だ」

 真顔で言った足往に千尋は頬を少しだけ染める。

「よう姫さん。楽しんでるみたいだな」

 朗らかな声がして、千尋は顔を上げた。

 そこには着地する寸前のサザキがいた。

 カリガネも一緒だ。

「足往の言うとおりよく似合ってるぜ、紅葉の簪。な、カリガネ!」

 サザキが振り向くと、カリガネはあぁ、とぎこちなく頷いた。

「そう? 鏡があればいいんだけど。自分じゃよくわからないわ」

「あぁ。本当に綺麗だ。その紅葉、天から降ってきたんだろう?」

「よく知ってるわね。その通りよ。ねぇ、サザキ。誰が降らせたか知らない?」

 サザキは千尋の質問が面白い、と言うように豪快に笑った。

「ははっー、よっくぞ聞いてくれました! 聞いて驚くなよ! 」

 もったいぶる言い方をするサザキ。

 そしてカリガネの背中を促すようにぽんと押した。

「どうした」

 不機嫌そうな顔でカリガネが問う。

「ば、馬鹿。ここは、オレが降らせた、って言うところだろう?」

 千尋と離れていれば内緒話になっていたかもしれないが、生憎小声でも聞こえる近さである。

 千尋は唖然としつつ二人のやり取りを見ていた。

「私が降らせた」

 ややあってカリガネがぼそりと呟くように言った。

「カリガネが!?」

 驚いた千尋に、

「あぁ」

「そうだったのね、ありがとう、カリガネ。地面が赤く染まるほど沢山の紅葉、わたし、初めて見たわ」

「楽しんでくれたか?」

 相変わらずぼそぼそと呟くカリガネに、千尋は大きく頷いた。

 カリガネが自分のために紅葉を降らせてくれたことが嬉しくてたまらない。

「よかったな、カリガネ。後は自分で頑張れよ!」

 サザキは意味ありげにカリガネを激励した。

「あっ、ちょっと、何すんだよ!」

 首根っこをつかまれ、サザキに連れて行かれそうになった足往が悲鳴を上げる。

「今から大人の話をするんだよ。子供はほら、別のところに行くぞ」

「サザキも子供なのか?」

「――――っ! いったいどういう教育してるんだ、忍人は! オレは子供じゃねぇよ。お前を連れ出しに行くだけだ。ほら、さっさと来い!」

 むんずと襟を捕まえられ、足往は後ろ向きにサザキに引きずられていった。

「やっと、静かになったな」

 サザキたちが堅庭の入り口に消えたのを見計らってカリガネが言った。

「えっ」

「私たちのほかに誰もいない。今が、機会なのだろう」

「カリガネ?」

 無表情のままカリガネが近づいてくる。

何を考えているのかわからず恐ろしくなって千尋は一歩下がった。

「姫、お願いだ。逃げないでほしい」

カリガネの瞳は何かを思い詰めたように真剣で……。

「は、はいっ」

千尋は下がるのをやめた。

これから何が起こるのだろう。

「驚かせてすまない」

千尋の不安を溶かすような優しい口調だった。

「どうしても姫に伝えたいことがあった。聞いてくれるか?」

首を横に振るわけにもいかず千尋は頷いた。

「君が好きだ」

千尋は目をしばたたかせた。

好きだ、なんてカリガネが、自分の事を想うはずがない。

そう、きっと聞き間違えたのだ。

表情を曇らせた千尋に、

「君が好きだ。姫いや、千尋……」

もう一度語りかけるようにカリガネが言った。

「わたしのことが好きなんだ」

 千尋は他人事のように呟いた。

 嬉しいはずなのに素直に喜べない。

「そうだ。だが―――あなたに想う人がいるのならば忘れてくれて構わない」

「忘れられるわけないじゃない」

 そう口にして初めて千尋は本当にカリガネが自分に好意を抱いていることを認識した。

 無意識のうちに千尋はカリガネに近づいていた。

 あと一歩で互いが触れることのできる位置で千尋は立ち止まった。

「ずっとあなたのことが好きだった。初めて岩戸で出逢ったときからずっと」

 静かにカリガネが語りだした。

「あなたを失った人と重ねてしまったのだ。こんなことをいうとあなたは悲しむかもしれないが」

 様子を窺ってきたカリガネに、千尋は続けて、と相槌を打った。

「彼女の代わりなら、姫のことを想うのをやめろ、とサザキに何度も叱られた。だが―――私はもうそれを克服した。もうあなたを彼女だとは思わない。あなたはあなただ。中つ国の姫でもない――――葦原千尋少女だ」

 わたしは中つ国の姫でもない、葦原千尋。

 カリガネは姫として自分を見ているわけではないのだ。

 ちゃんと一人の少女として自分を見ている。

「千尋、私はあなたにこの翼で空を見せたい」

 どういう意味、と小首を傾げた千尋にカリガネは微笑した。

 新緑に降り注ぐ光りのようにあたたかく、そしてやわらかに。

「おいで、千尋」

 手を広げたカリガネに千尋はゆっくりとその身体に手を回した。

 ぎゅっと抱き締めてきたカリガネに、千尋は訊いた。

「飛ぶの?」

「あぁ。私と同じ目線で空を見てほしいから」

「落とさないでね」

 冗談交じりに言った千尋に、

「もちろんだ。あなたに怪我をさせるはずないだろう?」

 カリガネは少し表情を緩めた。

 さあ、行こう、と言い、カリガネが地を蹴る。

 藍色の翼が力強く風を切ってゆく。

 堅庭に敷き詰められた紅葉が、竜巻のように舞い上がる。

 千尋は舞う紅葉を見つめていたが、

「カリガネ」

 好きな人の名を呼んだ。

「今日は本当にありがとう。素敵な思い出も作れたし、嬉しかったわ」

「あなたが気に入ってくれたなら、よかった」

 千尋を抱き締めなおすと、カリガネは天鳥船の上を大きく旋回した。











 
―END―











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