七色のお前にキスをする






「あ、見て。虹が出てるよ!」

 望美が空を指差した。

 立ち止まった望美に、ヒノエも歩くのを止め、彼女と同じように空を見上げた。

 雲と空が夕陽を吸い込んで赤紫に染まっている。そしてー―――ふわりと宙に浮かぶ七色の弧を描くもの。虹だ。七色は後ろのビルを透かし、日没の空をそっと照らしていた。

「綺麗な虹だね。まるでお菓子みたい」

 目を輝かせ、望美は虹に見入っている。

「お菓子? 宝石にはたとえられても……食べられるものには見えなさそうだけど?」

「そう? 透明で七色の虹。まるでゼリーみたいだよ」

「ゼリーねぇ」

 虹を菓子にたとえる。たしかにゼリーも透明で様々な色があるが……。自然現象と食べ物をねぇ。普段から愛しい姫君のことをありとあらゆる風物にたとえ、口説いている身としては、納得がいくような、いかないような不思議な心地だ。

(こうしてじっと見ていれば……うーん、見えないこともない?)

 夕空に架かる虹。愛する姫君はそれをゼリーのようだと言う。

「姫君はおなかが減ってるのかい?」

 からかうように望美の頬を人差し指で押す。

冷たい! 小さく悲鳴をあげ、望美はヒノエの指から離れるように顔を反対側へと傾がせた。

「さっき、駅前のカフェで春の新商品のパフェを食べたばかりだよ。おなかが減ってるから、虹を砂糖菓子って言ったわけじゃないのに」

「じゃあ、何故?」

 だが、望美はヒノエの質問には答えずに、

「あ、消えてゆく……」

 すっと夕焼け空に溶けるように消えてゆく虹。

 残念そうな望美に、

「綺麗な虹だったね。こんなに大きくて綺麗な虹は久しぶりに見たぜ。だけど……」

 ヒノエは買い物袋を持ったまま望美を抱き寄せた。買い物袋の中身ががさがさと音を立てる。

 驚いている望美の耳元でヒノエは囁いた。

「オレの姫君の方がよっぽど綺麗だ。ふふっ、この桃の花のような唇。やわらかくて、甘そう……」

 言いながらそっと望美の唇を指先でなぞる。

「ヒ、ヒノエくん!」

 たちまち望美の頬が桃色に染まってゆく。素直な望美の反応に可愛らしいと思いつつ、

「姫君。ちょっとだけじっとしてくれるかい?」

 宥めるようにもう一度囁いて、ちゅっと音を立てて望美の唇に軽く口づけを落とした。

「あっ……」

 瞠目する望美に、ヒノエは目を細めた。

「やっぱり、可愛いなお前は。このままさらっていってしまいたいぐらいだ」

「もう、ヒノエくんってば……そんなことばっかり言って。さらわなくったって、わたしはいつもヒノエくんのそばにいるよ」

 言うなり、望美は恥ずかしそうにヒノエから目を逸らした。

「嬉しいね、姫君から熱い言葉を聞けるなんて」

 からかわないで、勇気を出して言ったのに! とむくれる望美に、

「ゴメンゴメン、あんまりにも姫君が可愛かったからさ」

「また、そんなこと言って」

 口では怒っているものの、望美の表情はやわらかかった。

「さ、家に帰ろうか。帰ったら、また、ゆっくりしようぜ」

「その前に夕食だけどね。ヒノエくん、何か食べたいものある?」

 あれれ? さっきはおなかなんか減ってない、って言ってたのに。ま、夕餉はきちんと食べないといけないけどね、自問自答して思わず、ヒノエはひとり微笑した。

「そうだなあ。うーん、オムライスに……カレーライスに……コーンスープ……」

「そんなにたくさん作ってたら深夜になっちゃうよ」

「姫君は何が食べたい?」

 逆に質問され、望美は目をしばたたかせる。

「カレーかな。あったかいご飯とルーで温まりたい気分」

「じゃあ、それにしよう」

 歩き出したヒノエに、望美がそっと手を握ってきた。

「姫君?」

「急に手を繋ぎたくなったの。ダメだった?」

 互いの指と指を絡めながらヒノエは、

「大歓迎に決まっているだろう? オレもお前に触れたいって思っていたところだよ」

 手を繋ぎながらふたりはゆっくりと家路を帰ってゆく。

 陽は沈み、空も雲も濃藍に染まっていた。きらり、硝子玉のように光るのは一番星だろうか。

「なあ、望美。さっきお前が虹を見てお菓子みたい、って言った意味がわかったよ」

 ふいにヒノエは言った。言葉を待つように見つめてくる望美に、

「虹は七色だろう?」

 あたりまえでしょう、と口に出さずとも望美の顔にはそう書いてある。それを確認した後、ヒノエはゆっくりと口を開いた。

「お前も虹のように七色の表情を見せる。嬉しいときは橙、哀しいときは紫、ってようにね」

 眉を寄せた望美に、ヒノエは笑いかけた。

「お前は虹をお菓子とたとえた、オレは虹をお前とたとえた――――つまりー―――?」

 望美は少し考えると、

「虹はわたしってこと?」

「ご名答。やっぱり姫君は冴えてるね。虹のようなお前はお菓子のように甘い、だから、美味そう。な、納得いくだろう?」

 なにそれ、と望美はまたたきを繰り返す。

「虹のように綺麗なお前を見ることができて、今日はサイコーだったよ」

 囁いて、ヒノエは望美の頬にすばやく口づけをした。




END







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