甘い口づけ、ひとつ







 

「望美、そこに隠れたってすぐに見つかるよ。こっちにおいで」

 呼び止められ、望美ははじかれたように後ろを振り返った。

「ヒノエくん!」

 一刻も早く隠れなきゃ、逸る気持ちを抑えつつ、望美はヒノエの言葉を待つ。 

「草むらの中に隠れるより、もっといい場所がある。鬼にすぐ、見つけられたくないだろう?」

 ヒノエはそう簡単には見つけられない場所を知っているのだろうか。彼の口調は自信に満ちていた。



 望美たちは今、かくれんぼをしている。とある神社の境内で。提案したのは望美だった。望美たちが異世界の京に来て早、三ヶ月が経とうとしていた。異世界の生活にも、打倒怨霊三昧の日々にも慣れ、望美はようやく白龍の神子としての自覚が持てつつあった。鎌倉殿に報告へ行っていた景時がようやく帰ってき、総大将として多忙だった九郎も暇ができたようで。時の狭間ではぐれてしまった将臣とも再会し、久々に中間が揃ったのだから、何かしましょうということになり、望美は「かくれんぼ」をしたい、と言ったのだった。将臣は子供の遊びだろう、と笑ったが、望美は仲間意識を深めるためにもレクリエーションは大切だよ、と将臣をはじめ皆を説き伏せたのだった。はしゃいだのは白龍で、鬼になる! と自ら申し出た。



「で、来るの? 来ないの?」

 尋ねられ、望美は行く、と言った。白龍には申し訳ないが、すぐに捕まるわけにはいかない。いかに最後のひとりになるまで見つけられないかがこのゲームでは重要なのだ。木の幹から不自然に飛び出した狐色を見やる。九郎だ。遠目から見ても九郎が木の後ろに隠れているのがわかる。きっとすぐに見つかるだろう。

「もう……いーいかい?」

 初めて言うせいか、白龍の語尾はおかしな具合に上がっている。噴出しそうになるのを堪えながら、望美は、

「行く。ヒノエくんと隠れるよ」

「じゃ、決まりだね」

 まーだだよ、と遠くから中間たちの声がする。

「オレたちも言わなきゃいけないな。まーだだよ」

 後半は後に向かってヒノエは大声で言った。

「さ、走るよ。おいで」

 差し出されたヒノエの手を望美は躊躇うことなく握る。手を繋いだままふたりは走り出した。

 

 

 

 

 

「まだ行くの?」

 ここは神社の本殿の裏側だ。うっそうと木が生い茂っているその林の中をヒノエは進んでいく。歌うような小鳥達の囀りが聞こえてきた。

「あぁ、もう少しだ」

 ヒノエは一本の樹の前で立ち止まった。それは望美の両手を広げた長さ六、七個分はありそうなほど太い幹の古木だった。樹齢、何百年なんだろう、悠長に考える望美に、

「こっちだよ、姫君」

 ヒノエが呼んだ。二人で樹の後ろに回ると……

「えっ、樹に穴が……」

 ぽっかりと樹の幹に空洞が出来ていた。望美が感嘆していると、ヒノエがするりと穴の中に入った。

「ヒ、ヒノエくん!?」

「冬眠中の熊なんていないから、姫君も入ってきなよ」

「ここに隠れるの?」

 確かにここならそう簡単には見つからないだろう。

「もーいいよ」

 ふいにかすかだが声が聞こえた。別の方向からも、同じようにもういいよ、という声がする。

早く入らなきゃ、そう思う。思うのだけど……。

(ヒノエくんと二人っきり……)

 そう思うとかあっと熱くなりそうだった。

「見つかってしまうよ」

 ヒノエに急かされ、望美は思考をそこで中断し、巨木の洞へと入ったのだった。

 

 

 

 

 

 ひんやりとする。空洞の中は思いのほか狭かった。高さは無く、二人座ればぎりぎりの広さだった。

「望美、狭いだろ。もう少しこっちにおいで」

 ヒノエが後方で少しずれるのがわかる。

「でもあんまり近づくと……」

「怖いのかい? 闇の中は」

 ヒノエが言うほど闇、ではない。太陽の光は遮られてないし、空洞内は暗いながらも、相手の顔がうっすらと見えるほどには明るかった。

「そうじゃないよ」

 望美はえいっと後ろに下がった。ぽふっとヒノエに背中が触れるのがわかった。今、望美はきっとヒノエに後ろから抱きしめられるような格好になっているだろう。

(こんなにもヒノエくんが近い)

 髪にかかるヒノエの吐息を感じる。意識せずにはいられない。ヒノエは抱き締めてはこなかった。きっと望美を怖がらせないように木を使っているのだろう。

「ふふっ、誰かが見つかったみたいだ」

 囁くようにヒノエが言った。首筋にあたたかな吐息を感じ、望美は思わずぴくりと身を震わせた。

「大丈夫、まだ見つかりはしないさ」

「う、うん。わかってる」

「もう少し気を抜きなよ。敵と戦っているわけじゃないんだから、そこまで緊張する必要はないぜ」

 それもそうだ。だが、今、望美の懸念はヒノエとは別のところにある。

(ヒノエくんはどうしてわたしを誘ってくれたんだろう)

「いつもの姫君らしくないね。今日はやけ静かだ。ま、剣を振るい凛としたお前もいいけど、そっと道端に咲く可憐な菫のように大人しいお前も好きだけどね」

「ヒ、ヒノエくん!」

 くすぐったくなるような言葉に望美は思わず赤面する。

「どうしてオレがお前を誘ったのかその理由を知りたい?」

 心を読まれた? 驚いて望美は振り向こうとした。

 そのとたん、がん、と派手な音がした。

 今度は恐る恐る慎重に上半身を動かすと、顔をしかめたヒノエの姿がうっすらと見えた。痛そうに胸に手を当てている様子から、恐らく望美の肘が彼の胸を直撃したのだろう。

「ご、ごめん。ここが狭いって忘れていた!」

 望美は慌てて謝った。

「気にすんなよ。このぐらい。どうってことないって。それより。姫君、声大きすぎ」

 ヒノエが囁き終わるのと同時に、

「今、こっちで声がした―――?」

 がざがざと草を踏みしめる音、そしてのんびりとした口調の幼い声が聞こえてきた。白龍だ。

「み、見つかる?」

 息をのむ望美に、

『少しだけ、静かにしてごらん』

 ヒノエが小声で言った。

 静寂が空洞に訪れる。二人の呼吸音しか聞こえない、機の中はとても静かだ。まるで、外部から切り離されたよう。望美とヒノエしかいない、二人の世界。隠れたものを探す白龍の草を踏みしめる音、歌うように囀る小鳥達の鳴き声、木々の葉がこすれあう音、外部の音が遙か遠くに感じる。

 緊張のせいか、望美の心は落ち着いていた。

「行ったようだね。見つからなかったみたいだ」

 ふうと、緊張を解くようにヒノエが言った。

「そうみたいだね」

「で、さっきの質問の答えを教えようか。ちょっといいかい?」

 ぐいっと身体を引き寄せられる。ぽふっとヒノエの胸の中に背中がおさまったのがわかった。

「気づかれたら困るからね。ちょっとの間だけ我慢してくれよ」

 そう前置きをし、ヒノエは、

「少しでもお前とふたりっきりの時間を過ごしたかったのさ。それがお前を誘った理由だ」

「えっ」

「お前と一緒にいたいから見つかりにくいこの場所を選んだ。嫌だったかい?」

「そんなことないよ」

 望美はゆっくりと息を吐くように言った。普通に喋れば、身体を抱き締めているヒノエの腕に吐息がかかりそうだったから。

「お前もオレと同じように、一緒にいたいって思ってくれている?」

「うん」

 望美はこくりと頷いた。

「ふふっ、嬉しいね。姫君もオレと同じ気持ちで。このまま、永遠に見つからなければいいのにね」

息を潜めて交わされる言葉。ヒノエの口説くような甘い響きに、望美は再び鼓動が早くなるのを感じた。

(ヒノエくんにバレたらどうしよう)

 服越しに鼓動が伝わりませんように。

 望美は心の中で祈る。

 今はまだ、知られたくない。

 ヒノエに惹かれている、ということを。

(運命を変えたときに……そのときに伝えたいよ)

 だから今は、ヒノエくん、気づかないで――――。

「あのさ、姫君」

 ヒノエが口を開いたとき、望美の願いが通じたのか、

「そろそろ、出て来い! もうかくれんぼは終わったぞ」

「ヒノエくん、望美ちゃん、出ておいで〜」

 二人を探す、九郎と景時の声がヒノエの言葉を遮った。

「どうしようか、姫君」

 名残惜しそうにヒノエが訊いてくる。もちろん答えは決まっている。出ていこう、きっぱりと言った望美にヒノエが仄暗い中で微笑したのがわかった。

「じゃあ、出る前に」

 腰を浮かそうとした望美をヒノエが制した。

 望美の顎を持ち、後ろに向かせると、

「ねぇ、姫君。いつか、お前がオレともっと一緒にいたいって思うようにさせるからね」

 そう言って頬に触れたのは……。

 甘い口づけ、ひとつ。







END



*別マガで配信したものです。
いつの間にか廃刊になって中途半端になっていたという悲しい曰くつきのもの。
アンソロ用にいくつか書き出したもののひとつでした!



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