Kiss and flat
part of the hand






 

 ぱしん!

 渇いた音が響き渡る。


 浅く呼吸しながらわたしは目の前の男を思いっきり睨みつけた。力任せに叩いた右手が遅れてじんじんと痺れだす。


「アリス……」


 叩かれ唖然としていたエリオットが我に返ったように呟いた。彼は痛そうに叩かれた左頬を押さえているが、同情する余地など一切ない。この状況では。


「いきなり平手はないだろう?」

 大の男が泣きそうな声で言う。頭に生えたウサギの耳はしょんぼりと垂れている。


 可愛い。ウサギだから可愛いのは当たり前。抱き締めてウサギの耳を撫でて引っ張りたい。そんな邪な思考が頭を過ぎる。けれど、今はダメ。押さえなきゃ。


「俺はただあんたにキスしようとしただけなのに」

「キスって……ここは廊下よ? 公共の場なの!」

 そう、廊下はキスを交わすプライベートの場ではない。それは人がいてもいなくても同じだ。

「…………いきなりキスしようとしたのは……確かに俺が悪いけどさ。力いっぱい叩きすぎだぜ?」

「叩かれて当然のことをあなたはしたわ」

 いきなり抱きついてきてキスをしてきたエリオット。驚いて反射的にわたしは彼をぶってしまった。

「挨拶のキスのつもりだったのにさ」

 頬を押さえたまま、あいた手で頭をかきながらエリオットが言う。



「全く見えなかったわ。それにさっきも言ったようにここは公共の場。そしてわたしとあなたは上司と部下なのよ。気軽に好きなところで好きなときにキスなんて交わせるわけがないでしょう?」



「アリスはそういうところきっちりわけるんだな。ま、あんたらしいといえばあんたらしいけど」

 エリオットは抑えていた手を頬から放した。叩いた跡は少し薄くなっていた。


「なあ、この件については許してくれるか? 本当に悪かった。次からはもうしないからさ、な、許してくれよ。俺、あんたに嫌われたら……」



 語尾がどんどん小さくなってゆく。エリオットの表情は絶望的だ。わたしは慌てる。突然のキスに驚いたけど、それでエリオットを嫌ったりするほど器の狭い人間ではない。



「もちろん、許すわよ」

 そう言ったとたん、ぱあっとエリオットの表情が明るくなる。

「ありがとう、アリス! あぁ、大好きだ!」

 がしっと抱き締められる。


 ここは公共の〜と言いかけてわたしは口を噤んだ。こんなに嬉しそうなエリオットをまたがっかりさせたくない。


「仕事終わったら暇だろう? どうだ? 俺の部屋に来ないか?」

「お断りよ」

 即答。エリオットはえぇ、っと驚く。

「エリオット、あなたがわたしの部屋に来て」

 今日はエリオットに来てほしい気分だった。いつも誘われる側だから、たまにはわたしが彼を誘いたい。



 エリオットが瞠目する。ウサギの耳が驚いたようにぴょこんと伸びる。またしてもウサギ耳が愛い。ぶった右手がエリオットの耳を触りたくて疼きだす。やや間を置いて、



「あぁ、行く。喜んで行かせてもらうぜ!」

 エリオットは嬉しそうに破願した。

「あ、オレンジ色のお土産はいらないから」



 彼が言う前に釘を刺しておく。ブラッドほど嫌いではないし、むしろニンジンは好きだ。けれど、それをケーキやらプリンやら何でもかんでも混ぜるのはやめてほしい。飽きるから。



「なんでだよ。この間、すっげー、おいしいニンジンプリンを見つけたのに!」


 この世界にニンジン料理とニンジンお菓子の専門店があるのが不思議でたまらない。やはりウサギが住人としているからだろうか。


「ニンジンプリンよりー――あなたの耳を触るほうがいいな」

いいでしょう? と懇願する。

「仕方がないなあ。俺の耳を触って何が楽しんだ?」



 エリオットが苦笑いしつつも屈んでくれた。ウサギの耳が揺れる。わたしはそっとそれに右手を伸ばす。ふわりとやわらかい毛が手のひらに触れる。さっきぶった手でやさしくエリオットの耳を撫ぜる。



 可愛い、わたしのウサギさん。

 不意打ちのキスをしたエリオットが悪い。でも暴力で彼を拒否したわたしはもっと悪い。

 痛くしてゴメン、心の中で謝った。左手でそっとエリオットの頬に触れる。ぶったところをそっと撫でた。



END

こんなエリアリもいいじゃないという妄想から生まれた話。
わたしのエリアリネタはアリスが主導権を握る話が多い(汗
お読みいただきありがとうございました!






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