紅茶とあなたの指先と



アリスは焦っていた。


 エプロンドレスの裾が風に吹かれて大きく広がるのも気にしてられない。
 

今は一刻も早く屋敷に帰らなくては。



「遅いじゃないか」


 息を切らせながら部屋に飛び込んだアリスに、腕組みをした男は短く呟いた。


「ごめんなさい」


 アリスは小さく謝った。


「まあ、いいだろう。遅れた分の代償はちゃんと払ってもらおうじゃないか」


 代償、と聞いてアリスはぴくりと身をすくめる。


「ふふっ、君の考えているほど恐ろしいことじゃないさ」


 ナイトメアのように心が読めるわけでもないのに、ブラッド=デュプレは自信ありげに笑う。


「これだ」


 肩を押され案内された場所。


 目の前に広がるのはテーブルの上に堆く積み上げられた本の山。


 瞠目するアリスに、


「先の時間帯に届いたばかりの新しい本だ。異国の珍しい本もある。もちろん君の好きな小説も研究書も入れている」


 アリスの胸がどきどきと高鳴り始める。面白い本が読める、そう考えるだけでわくわくする。


「読みたいかい?」


「うん!」


 思わず子供のような返事をしてしまう。きっと今の自分の瞳は、ブラッドのことを語るエリオットのようにきらきらと輝いているに違いない。


 ブラッドはふふっ、っと微笑すると、


「遅れた代償として書架の整理をしてもらおうじゃないか」


「それだけ?」



 つい口が滑ってしまう。代償なんていうから、てっきりあんなことやこんなことをされるのかと思っていた。だが、我らがボス、ブラッド=デュプレは余所ものである自分を気にって入るとはいえ、そんな関係に引きずり込みたいかというとまた別の話であろう。自分はまだほんの小娘だ。彼を魅了する色気もないし、経験すらない。


「ほう、お嬢さんはもっと別のことを期待していたのかな?」


 に やにやと口の端をゆがめるブラッドにアリスは全力で否定する。


「ち、違うわ! じゃあ、早速片づけるわね!」


 アリスはテーブルの上の本を手に取った。裏に返して表紙を見ようとしたとたん、ぐいっと手を押さえつけられる。


 息が近い。恐る恐る目だけを後ろにやると、案の定ブラッドの個性溢れるモノクロトランプ柄の帽子が見えた。


「何の真似?」


 低い声で問う。そうでもしないと平常心を保っていられない。突然手を捕まれた驚きと、触れ合った部分のあたたかさに鼓動が早くなる。


「本の整理は後だ。先に茶会をしよう」


「へっ?」


「さっきからずっと紅茶が飲みたくて飲みたくて仕方がないんだ」


 いらいらした口調でブラッドは言った。


「さあ早く始めようじゃないか。 このために君を呼んだのだから」


「そうね。お茶会の約束してたもの」


 ブラッドはアリスの手首をつかんだ。アリスは引きずられるように、別のテーブルへと連れていかれる。


 テーブルにはティーカップとポットが用意されていた。


 ブラッドは優雅な手つきでティーカップに紅茶を注ぎながら、


「久々のふたりだけの茶会、楽しんでくれるだろう?」


「えぇ、楽しみにしてるわ」


 一つのカップに注ぎ終わり、ブラッドがもう一つのカップを手に取る。湯気を上げながら注がれる紅茶を、そして数え切れないほど紅茶を淹れたであろうブラッドの細くしなやかな指先をアリスは見つめる。


 芸術だわ。


 アリスは軽く目を細める。


「何かついてるか?」


 アリスの視線に気づいたのか、ブラッドが手を止めた。


「そのまま続けて」


「わかった」

 ブラッドはそれ以上追及してこなかった。

(ねぇ、ブラッド。 あなたの紅茶の注ぎ方、結構好きかもしれない)

 入れたての紅茶を頂きながら、アリスはそっと心の中で呟いた。
 




END

アリスの走るシーンが浮かんだので、そこから膨らませました。
ブラッドの紅茶の注ぎ方はきっと芸術的なんだと思います!!
お読みいただきありがとうございました!






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