薔薇よりも甘い誘惑



 

「まあ、そう驚くな」

 アリスのベッドを椅子代わりにして座っている男、ブラッド=デュプレは我が物顔でそう言った。

「誰だって驚くわ。 ノックもせずに女の子の部屋に黙って入ってくるなんて!」

 ブラッドはステッキを手のひらにたんたんと当てながら、

「失礼な。私はちゃんと部屋をノックしたぞ」

「してないわよ。それに女の子のベッドを椅子にするなんて失礼だわ!」

「君の部屋の中でここが一番座り心地がいいと思ったんだ。ノックの音は君が本に集中していたから聞こえなかったんだろう」

 ブラッドは顎でテーブルの上を指した。そこには開きっぱなしの本が置かれていた。アリスが先ほどまで読んでいたものだ。

「確かに、集中して聞こえていなかったのかもしれない」

 引越ししたとき、ブラッドはエリオットや双子と違って部屋に入ってこなかった。彼はノックをする、と言っていた。用事があるのに相手が集中して聞いていない。そういうときは断わりなしにでも入っていいのではないだろうか。

「で、何の用なの?」

 アリスは問う。

「用がなければ来てはいけないルールなのか? 今夜はつれないな、アリス」

 言葉こそ悲しげだが、口元にはにやにやといやらしい笑みを浮かべている。

 何かあるな、ようやくアリスはここで気づく。考えてみれば人一倍面倒くさがりの彼がわざわざアリスの部屋まで来たのだ。タダでは帰らないだろう。きっと、なにか……。
 
 ふいにブラッドの手が伸びてくる。避けようと思ったが、わずかな差で遅れてしまった。ひやり。少しだけ冷たい手がアリスの頬に触れる。


「冷たい手ね」

「君はあたたかい」
 
 両頬をブラッドのひんやりした手で包まれた。


 じわじわと頬の……顔の……体温が奪われてゆく。アリスの皮膚は冷たく、ブラッドの手があったかかくなってゆく。


「私をあたためてくれるだろう?」


 ぐっとそのまま抱き寄せられる。バランスを崩しブラッドと一緒にベッドに倒れ込みそうになったが、アリスはすんでのところでベッドに手をついた。


 目の前で黒曜石色の髪が揺れる。顔が近い。息が互いの頬に触れる距離だ。久しぶりに感じるブラッドの吐息。



 そういえば、長らくブラッドの掃除以外で部屋に行ってなかったことを思い出す。引っ越してきたクローバーの国(この歪んだ世界ではひとではなく土地が引っ越すらしい)に少しでも慣れるために、ここ数日はクローバーの国の散策で忙しく、ブラッドの誘いを断わっていたのだ。

 触れてない。

 互いの身体に。

 それでブラッド自らアリスの部屋に来たわけだ。

 触れる……そう呟いた瞬間、急に体中が疼き始める。肌が、身体の奥が、ブラッドを求めてざわめきだす。彼にすべてを教え込まれた肉体が、ブラッドがほしいと渇きを訴えてくる。

「あたためるって?」

 アリスはわかっているくせに問う。

 ブラッドはことあるごとにアリスを「好きだ」と言ってくる。気まぐれ男の気まぐれな言葉。頭ではわかっている。それなのに彼との関係を断ち切ることができない。彼が滞在地のボスであることも関係しているのかもしれない。だが、それ以上に――――彼の容姿があのひとに似ているからだろう。前の世界で恋人だった彼の顔がちらついて、気まぐれの言葉、とは受け入れられないのだ。だから、アリスは流される。気まぐれな告白も、気まぐれな快楽にも。



「教えてほしいかい?」

 さわりといやらしく唇を撫でられた。わかっていてもぞわりと戦慄が走る。
 
 えぇ、とアリスは頷く。自分でも驚くほど甘い、誘うような口調で。
 
 ブラッドと視線が合う。



 彼は何も言わない。だけど、ブラッドが自分を求めている、というのは伝わってきた。目は口ほどにもものを言う、だ。なんて、諺を悠長に思い出す。これからはじまる行為に対しての一種の現実逃避。



 愛の欠けた関係。ボスと下っ端メイドの爛れた関係。それが今の自分だ。いっそう言葉も身体も心ごと受け入れてしまえば楽になるの?

「教えてあげよう」

 ブラッドが口の端を歪める。次の瞬間視界が暗くなった。

 ほのかに甘いバラの香りがアリスの鼻をくすぐる。そしてもっと濃厚で甘い口づけが唇に落ちてきた。

 


END

艶っぽいブラアリを目指したつもり……です。
マガで配信したものにかなり手加えしてます。
お読みいただきありがとうございました!






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