春薫る風







 日曜日の昼下がり。

 望美は人の賑わう商店街の中を走っていた。

 色とりどりの服を着た人、店が風景の一部となり後ろへ遠ざかってゆく。

(待ち合わせ時間、間に合わないよ)

 腕時計を見て、望美はさらに走る速度を上げる。


 美容室で時間をとってしまった。ヘアチェンジするつもりで行ったのに、いざ切るとなるとどの髪型にしたらいいのかわからなくなって悩んでしまったのだ。



 髪を切り終わって時計を見ると、約束の時間十分前だった。間に合いそうな間に合わなさそうな微妙な時間。望美は慌てて敦盛の携帯電話に電話した。敦盛は怒ることもなく穏やかに、待ってるから、と言ってくれた。



 商店街を抜けると、駅が見えた。望美はさらに足を速める。駅の入り口に佇んでいる人物を見て、

「敦盛さーん!」


 望美の声に気づいたのか、下を向いていた男が顔を上げた。左右を見回し、望美の姿を捉えるとやわらく微笑した。


「神子……大丈夫か?」

 はあはあと息を整えている望美に、敦盛が心配そうに言った。

「だ、大丈夫です! そして遅れちゃってごめんなさい」

「いや、気にするな。そんなに待ってはいない」

 目を細める敦盛に望美は、

「本当にごめんなさい」

 もう一度頭を下げた。

「気にするな。少し休んでから行こう。今日は『デパート』に行くのだろう?」

「はい」

 望美は快活に頷いた。




*****





 ふたりは駅近くのデパートの中を歩いていた。


 時折子供を呼ぶ母の声が聞え、歩く人たちの談笑が聞こえる。春らしい明るい曲が売り場に響き渡っていた。


(遅刻したから言えなかったけど……敦盛さん、わたしの髪型が変わったこと気づいてるかなあ)

 髪型のことを言われたらなんと言おうか。ちらちらと敦盛の様子を窺ってしまう。


(ダメだダメだ。敦盛さんに気づいてもらわないといけないのに。自分からアピールしたら意味ないじゃん)


 望美は敦盛から無理やり視線を離し、

「敦盛さんは見たいお店、ありますか?」

「……そうだな。CDを売っている店に行ってもいいだろうか」

「いいですよ。えーっとCDショップは何階だったっけ?」

 たまにしかこのデパートに来ないものだから、つい度忘れしてしてしまう。望美が考え込んでいると、

「神子、あそこに案内板が」

 敦盛はエスカレーター前を指差した。

 ありがとうございます、と言って望美が歩き出そうとしたときだった。

「あ、神子……」

 敦盛が躊躇いがちに呟いた。

「何かあったんですか?」

 望美は敦盛の顔と、周囲とを交互に見た。

「会ったときから言おうとしていたのだが……機会を逸してしまっていた。その……髪を切ったのだな」

「は、はい」


 唐突に言われ望美は間の抜けた返事をしてしまった。頭の中であれほど予行練習をしていたというのに。


「前髪と後ろ髪を少し切ったのだな。全体的に軽くなって……春めいた感じがする」

 やはり敦盛は鋭い。

 望美は異世界にいたときのことを思い出した。



 夏の蒸し暑い日だった。うだるような暑さに参っていると、朔が髪をすいてすっきりさせようと言い出した。剃刀で剃る、という朔の言葉に望美は驚いたが、暑さにこれ以上耐えられない。剃り方を教えるし、剃りにくいところはお互い剃り合いましょう、という朔の言葉に、望美は頷いたのだった。



 髪を切り終えると、望美は早速廊下であった八葉に尋ねた。「どこかかわってないか」と。だが、幼馴染の将臣も、兄弟子の九郎でさえも望美の髪形の変化に気づいてくれず――――。



(結局気づいてくれたのは敦盛さんだけだったよね)

 敦盛の観察力に喜びを感じつつ、



「ふふっ、美容室に行ったんです。ばっさり切るつもりでいったんですけど……。何年もかかって伸びた髪を切るのが惜しくて、結局、いつもと変わらない感じになっちゃいました」



「そうか? だいぶ印象が異なったと思うが……」


「そう言ってくれるのは敦盛さんだけです。ふふっ、でも嬉しいな。敦盛さんに気づいてもらえて」


 微細な変化でも気づいてくれる。裏を返せばそれだけ自分を見ているということ。

 望美は自然に笑みが零れるのをとめられなかった。

「敦盛さんはこの世界に来てすぐに髪を切ったんですよね」

「あぁ。私のような長髪は珍しいことを知ったからな」


「いきなり髪が短くなってたからびっくりしましたよ。あの髪型気に入ってたんじゃなかったんですか?」



「そうだな……。気に入っていたかもしれない。だが、切るということに躊躇いはなかった。切ることによってこの世界に馴染めるきっかけとなったからな。むしろ、切ってよかったと安堵さえしている」



「やっぱり、わたしも敦盛さんみたいに思い切って髪を変えてみようかな」


「神子は今の髪型が似合っている。無理をして切らなくても……あ、あなたが本当に切りたいと思うのなら止めないが……」


 瞠目した敦盛に望美はくすりと微笑った。


「ちょっと思っただけです。これだけ髪が長かったらいろいろとヘアアレンジも楽しめるし、当分はこの髪型でいきます」


 宣言するように言った望美に、敦盛は目を細めた。

 望美は腕時計を見ると、

「さ、掲示板見に行きましょうか」



「あぁ、行こう。神子、CDしょっぷを見たら、お茶にしないか? この間、あなたの好きな『チョコレートケーキ』が置いてある店を見つけた。たぶん、気に入ってくれると思う」





END







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